1. EAT&LEAD
  2. 丸の内シェフズクラブ
  3. 【インタビュー】三國清三シェフが振り返る「食の文化活動が花開いた東京・丸の内」

SHARE

  • X
  • Facebook

【インタビュー】三國清三シェフが振り返る「食の文化活動が花開いた東京・丸の内」

東京・四ツ谷の迎賓館のほど近く、閑静な住宅街に佇むフレンチレストラン「オテル・ドゥ・ミクニ」が2022年12月末をもってクローズされることが発表されました。これまで日本のフランス料理界をけん引され、37年間にわたって育て上げてきた四ツ谷のレストラン「オテル・ドゥ・ミクニ」をクローズし、小さなレストランに建て替える決断をされたというのです。三國シェフといえば、今から20年以上も前、日本有数のビジネス街である東京・丸の内が、ビジネス特化の街から賑わいのある街へ再構築に挑んだ際、大きな貢献を果たしたお一人。三國シェフに、今の心境をお聞きするとともに、丸の内とともに歩んできた日々を振り返っていただきました。

>>EAT&LEADの三國清三シェフ関連記事
●インタビュー記事
【FOOD INSPIRATION】三國清三 #食の感性を育む
●「丸の内シェフズクラブ」活動レポート
大人の食育を推進する「丸の内シェフズクラブ」総会が開催されました!

三國シェフのこれからの10年は、“夢の実現に向けて”

2年後、私は70歳になるのを機に、37年間営んできた全80席のレストランを全8席の小さなお店にすることにしました。年内に四ツ谷のレストラン「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店し、建て替え、2年後に新たな店をオープンさせる予定です。

私のこれまでのシェフ人生は大きな挑戦の連続でした。
世界という舞台に立てたからこそ見えてくる日本の良さをたくさん知っています。「食を文化にする」という大きなミッションのもと、料理と日々向き合うことはもちろんのこと、社会活動を多く経験してきました。数々の経験の中でも、丸の内においても街づくりの一端を担わせていただいたことは思い出深い出来事でした。

けれど年齢を重ね、いつしか、このまま前に突き進むと最後に燃え尽きることができないのではないか、と感じるように。過去に何かを置き忘れて、大事なことをやり残したのではないか、と思うようになったのです。その答えが、8席の小さなレストランでした。20代の頃にパリで修業し、帰国した時に思い描いていた夢のレストランを実現させよう、と。お客様と会話しながら、その日の食材で料理を作って提供する、シェフという仕事と向き合う日々──。80歳になるまで、そんな10年間を過ごしていけたらと考えています。


四ツ谷「オテル・ドゥ・ミクニ」の壁に飾られている、1986年の三國シェフのポートレイト。三國シェフの当時の夢があと2年後に実現することになります

2000年代のミッションは、“街に賑わいを”

振り返れば、私が丸の内仲通りにレストランを構えることになったのは1999年のことでした。

もともと丸の内は日本屈指のビジネス街でしたが、オフィスワーカーがいなくなる週末ともなると街は静寂に包まれていました。そこで街のイメージを変え、新たな賑わいづくりに向けた再開発のプロジェクトが動き出したのです。その時、三菱地所さんより私に声が掛かりました。

私に与えられた最大のミッションは「銀座、有楽町から丸の内へ人の流れをつくること」。課題は、人々にどう馬場先通りを渡ってもらうか。馬場先通りの向こうにある私の店に人が集まれば、周辺にも他のお店を増やしていけるという“点から面へ広げる”仕掛けづくりを、丸の内再開発の黎明期に担うことになったのです。

そして、オープンさせたのが「ミクニズカフェ・マルノウチ」でした。


1999年12月にオープンした「ミクニズカフェ・マルノウチ」

お店のコンセプトは、“ファイブ・ミールズ”(朝食、昼食、カフェ、夕食、夜食)。朝から夜遅くまで営業し、時間帯によってそれぞれ異なる過ごし方が楽しめるお店にすることで、ワーカーから主婦の方まで、あらゆる方にご利用いただけることを目指しました。

特に画期的だったのは、パン工房を併設したことですね。当時、店内で焼き上げたパンを提供するお店はまだ少なかったため、外から見えるガラス張りのパン工房で、早朝から職人たちが生地を練り、窯に向かう光景は大きな話題を集めました。

また、お昼には、休みが1時間しかないOLさん向けに「クイックランチ」という40分の時間制のメニューを用意。ゆっくりランチを味わいたい方と急いで美味しいランチを楽しみたい方、いずれのニーズにも対応できるよう工夫したのです。

かくして、ミクニズカフェ・マルノウチは人気店となり、街の賑わいづくりの突破口になることができました。

丸の内エリア再開発といった時代の大きな流れの中で、街の文化が「食」から生み出されていくという“源流”がここにあったといっても過言ではありません。


写真はミクニズカフェ・マルノウチの地下1階にあった「レストランミクニ マルノウチ」。1階のイタリアンテイストのカフェに対し、こちらはフレンチレストランで、2軒が同時にオープンしたことも話題を集めました


現在の丸の内仲通りの風景。1999年に「ミクニズカフェ・マルノウチ」がオープンして以来、通り沿いには様々なお店が軒を連ねるようになり、多くの人で賑わうメインストリートとなりました

2010年代に挑戦したのは、シェフ同士の“食育活動”

「ミクニズカフェ・マルノウチ」のオープンからちょうど10年後、2008年には「食育丸の内」プロジェクトが丸の内でスタートし、その活動の推進役として翌年に「丸の内シェフズクラブ」が誕生しました。

丸の内エリアを中心としたオーナーシェフらが集い、様々な「食」を通じた活動を行う「丸の内シェフズクラブ」は、社会性のある食育活動を通じて、街に豊かな時間や交流を生み出しました。また、料理人の可能性を広げ、チャレンジの場にもつながりましたね。

最も刺激的だったのは、料理のジャンルを超えたキッチンの交流です。当時はまだ異なる料理ジャンルのシェフが集まって1つのコースを作るという企画はとても珍しく、私にとっても新しい挑戦となりました。各料理によって火の扱い方や食材へのアプローチは異なるのですよね。それは我々としても学ぶところが多く、スタッフにも良い刺激となりました。そして、何よりお客様が面白がってくださったことが印象深く心に残っています。様々な角度から常識を覆す「そうきたか!」という演出をするのが私は大好きなのです。

そして、この丸の内シェフズクラブのコミュニティの強さは、東日本大震災の際に活かされます。これまでに育まれた地域との関係性や活動のノウハウで、「Rebirth東北フードプロジェクト」を立ち上げました。丸の内と東北のシェフや生産者らがタッグを組んで、東北食材のリブランドや商品開発など、復興支援を10年かけて行いましたね。

2018年には、クリスマスイルミネーションが輝く丸の内仲通りに、真っ白なテーブルクロスがなびく25mのロングテーブルを登場させ、皆さんを“あっ”と言わせたことも。この丸の内シェフズクラブ10周年記念イベントとして開催した「ロングテーブル“絆KIZUNA”」はとても印象的な企画でした。一般の方はもちろん、活動を通じてご縁のあった生産者の方々とテーブルを囲み、料理を振る舞いました。このイベントは私の発案したもので、当初は「車道にテーブル!?」と皆さん笑っていましたけれど、見事に実現しましたよね(笑)。


2018年11月8日開催の丸の内シェフズクラブ10周年記念イベント「ロングテーブル“絆KIZUNA”」の風景。丸の内シェフズクラブを代表する4名のシェフが、それまで食育活動の一環で訪れた各地域の食材を使った特別メニューを提供しました

丸の内シェフズクラブは、今年で13年。思った以上に良い形で活動が育ち、この次の10年も非常に楽しみに感じているところです。

正直言えば、最初は「3年持てば良いかな」と思っていました(笑)。ともすれば競争相手にもなり兼ねない同じエリアのシェフ同士が繋がって活動をともにするなど、あまりにも前例のない取り組みだったからです。その反面、前例ない取り組みだからこそ、試してみる価値があると感じましたね。

今、丸の内は「食」の文化活動が花盛りに

この街と出会って20年余り。今年、丸ビルも20周年を迎えましたね。
その間に「食」を通じて多くの人で賑わい、新たな活動が丸の内の文化として結びついていくということを目の当たりにすることができました。

丸の内が日本の食材・生産者さんと繋がりの深い街になってくれたことも嬉しい出来事の1つです。私はずっと以前から全国各地の産地をめぐり、日本の食材を使って料理を作ってきましたが、素晴らしい日本の「食」や生産者さんのことをもっと広く知ってほしいと考えていました。東京の人々に、地方と繋がることで自分たちの暮らしや「食」がどれほど豊かになるか、実際に体験していただきたい、と。

一方で、東京にも1万件以上の農家さんがいて、江戸東京野菜や東京野菜の価値にも気づいてほしいとも思っていました。東京の地産地消が進むと、消費者にとってはより新鮮な野菜を手に入れられますし、遠方から運ぶよりも輸送エネルギーを削減することができますよね。

そういった発信をする時にも、丸の内ほど最適な場所はありません。
東京駅の目の前に位置する丸の内は、東京の中心地。つまり、日本の中心地です。この街から発信すれば日本中、さらには世界へ広がっていく可能性があります。

今の丸の内は、丸の内シェフズクラブのメンバーのように一緒に街を盛り上げていこうという仲間が増え、アイデアもアクションも活発な街になりました。

文化の躍動が丸の内を魅力的に輝かせ、これからより多くの話題を発信し、人々の心をもっと動かす街に成長していくだろうと期待しています。

【PROFILE】
シェフ 三國清三/Kiyomi Mikuni

1954年北海道増毛町生まれ。15歳で料理人を志し、札幌グランドホテル、帝国ホテルを経て、1974年に駐スイス日本大使館料理長に就任。その後、ジラルデ、トロワグロ、アラン・シャペルなど、スイスとフランスの三ツ星レストランで8年間にわたって修業を重ねる。帰国後、1985年に東京・四ッ谷にオテル・ドゥ・ミクニをオープン。1999年には、東京・丸の内にミクニズカフェ・マルノウチ(2006年閉店)、2009年にはmikuni MARUNOUCHIをオープンさせる。2013年、フランスの食文化への功績が認められフランソワ・ラブレー大学にて名誉博士号を授与。2015年フランス共和国よりレジオン・ドヌール勲章シュバリエを受勲

PAGETOP