元気になるニッポンの味めぐり8 美しくも厳しい自然とともに生きる、福井県で出会った生産者さん
美味しい食べ物をつくる生産者さんとの出会いを求めて、自然豊かな福井県を訪れたのは、新丸ビルにある四川料理の伝統の味と技法を守りつつ、化学調味料を一切使用しない調理を確立した中華レストラン「四川豆花飯荘(シセントウファ)東京店」の遠藤浄料理長と、本店を本場バンコクにもち、ロンドン、東京、ドバイなど世界各国に展開する、丸ビルのタイ料理レストラン マンゴツリーの熊谷亜里専務。福井県は初めてだと話すふたりの期待いっぱいの旅は、ベビーリーフを中心に様々な野菜を育てる、なんとも個性豊かな生産者さんとの出会いから始まった。
迎えてくれたのは、株式会社インスフィアファームの松井さん。7 年前に福井県にやってきて農業をはじめ、今やビニールハウス31棟、露地畑3haにて、一流シェフの舌を唸らせるベビーリーフをはじめ、様々な野菜を年間100 種類以上栽培している。松井さんの野菜は、基本的にレストランにしか出荷されない。美味しい一皿を調理するプロが、どのような野菜を使えばより付加価値を付けられるか、よりお客様を喜ばせることができるかを日々探求しながら、野菜と向き合っているという。「農業雑誌を読む時間よりも、シェフの料理本を読む時間のほうが長いくらいなんですよ」とくったくのない笑顔で話す松井さん。一流シェフと一緒にキッチンに立つ気持ちで、畑に立っていると話してくれた。いいものを栽培している、という強い意思がびんびん感じられる。なんだか話を聞いているだけでわくわくしてくる。遠藤料理長と熊谷専務の期待もどんどん高まっているようだ。「まぁ、まずは食べてみてくださいよ。」とビニールハウスの扉をあけてくれた。
ビニールハウスの中には数種類のベビーリーフが広がり、まるで緑の絨毯。どのベビーリーフも色が濃く、 強い生命力を感じられる。ベビーリーフは、現在約10 種類くらいを栽培していて、全国各地の約400 軒ものレストランへ届けているという。松井さんが栽培している野菜に、誰もが知る有名フレンチやイタリアンのシェフが惚れ込んでいるようだ。「ベビーリーフはやっかいな生き物ですよ。1 番美味しい時期を取り逃してしまうともう使い物にならなくなる」と話しながらしゃがみこみ、食べ頃のベビーリーフを見極めて手渡してくれた。
ちぎったばかりのベビーリーフは口に入れる前から強い香りが漂う。一口食べた遠藤料理長と熊谷専務は、「わぁ、味が濃い!」と思わず言葉を漏らし笑みを浮かべた。摘みたてだからということは勿論だが、それぞれのベビーリーフの個性を強く感じさせてくれる濃厚な味わい。ルッコラやマスタードリーフ、ビート、クレソンなど、どれをとっても味が凝縮されている。「これはチーズと合うんです。こっちは鴨肉のソテーに添えると絶品ですよ。」料理になった時のイメージを常に持ちながら栽培していることを感じさせるコメントとともに次々と野菜をちぎって手渡してくれる。
どうしてこんなに美味しいんですか?という問いに「それは企業秘密です。」とにやりと笑顔を返す松井さん。それはそうだろう。でも知りたい。少しだけ教えてくれたのは、自然の摂理に寄り添うことだという。自然界と同じ厳しい環境で栽培する。冬は暖房をいれない。夏は日光カットもしない。勿論その環境での栽培は難しい。枯れやすくなるし虫がくることもある。けれどもそうすることで、冬は寒さのなかでゆっくりとしか育たず甘さが凝縮される。逆に夏はすごく辛くなる。その甘さや辛さは、体が季節の移り変わりとともに本能的に求める美味しさなのではないかと話してくれた。さらにもう少し教えてくれたのは、生産のし易さではなく、美味しさのために生産方法を決める、ということ。通常、水耕で育てることが多いベビーリーフだが、自然に近い状態の土耕で栽培している。その土も、アルカリ性に近づけると栽培しやすくなるのだが、日本の土はそもそも酸性に近い。ありのままの状態というこだわりは土を酸性に維持するというところまで徹底している。そうすることで驚くほど色の濃い美しいベビーリーフが育つのだという。シェフの料理を皿の上で美しく彩る名脇役となることを計算している松井さんならではの栽培方法だ。
松井さんのこだわりと技術力の高さに、遠藤料理長も熊谷専務も驚きとともに関心しきりの様子。新たなメニューのアイデアが次々浮かび、松井さんへ作ってほしい野菜のリクエストを投げかけるほど。松井さんの仕事はますます忙しくなりそうだ。
翌朝、車を走らせてむかった先は、日本百名山に選定されている標高1,523m の荒島岳を望む場所で、里芋を栽培する建石さんの農地。迎えてくれた建石さんの笑顔はなんとも温かい。山々に囲まれた雄大な土地で農業を営む厳しさを知りながら、そのすべてを受け入れているような懐の深さをうかがえる。
さっそく建石さんの里芋畑を案内してもらう。ここ大野市で栽培されている里芋は、上庄里芋と呼ばれるもの。そもそも里芋は、たっぷりの水を欲する野菜。水の良さが美味しい里芋の決め手になるという。
「うちは、おかげさまで里芋を育てるのにぴったりなんですよ」と嬉しそうに話す建石さん。荒島岳から流れる真名川の水流には、ミネラル分がたっぷり含まれている。上庄里芋が美味しい水をごくごくと好きなだけ飲むことができるのだ。それに加えて標高300 メートルの盆地であることも良い条件なのだという。寒暖差が大きいことから歯ごたえ、粘り、喉ごしが格別に良くなる。通常は40%程度のでんぷん質を含む里芋だが、上庄里芋のでんぷん質は60%くらいまで上がる。身の締りがいいから煮しめにしても煮くずれせず食感を愉しめるのだという。同じ種芋をつかって他の土地で栽培してもこうはいかない。この土地でしか味わうことのできない、まさにこの土地の愛情をたっぷりうけて育った里芋なのだ。
大野市では、川に取り付けた水車に里芋を入れてがらがらと回し続けることで、水流で皮をこすり取る昔からの伝統的な皮むきの方法も続いているという。というのも、薄皮のあたりに栄養がたっぷりあるので皮を全部剥いてしまっては勿体ないというわけだ。また、やっかいなものとして取り除いてしまうことの多い灰汁だが、実は栄養素がたっぷり。そのまま是非味わって欲しいという。栄養豊富なだけでなく、低カロリーで食物繊維も豊富な里芋。美容にもよいことが期待できそうだ。やっぱり一度味わってみたい!ということで畑の近くに加工工場をもつ建石さんに、里芋のころ煮を食べさせてもらった。
醤油で焦がさないように焼きながら、煮詰めたころ煮。口に含むと、なるほど確かに今まで食べた里芋との食感の違いは歴然だ。歯が里芋に食い込むような身の締まりを感じる。遠藤料理長も熊谷専務もその体験したことのない歯ごたえを愉しんでいるよう。またその一口から、料理人の創作意欲に火がついたのか、スープにいれるとどう?炒めてみたらこうなるのでは?…などなど、様々な意見が飛び交う。建石さんの受け答えもどんどん饒舌になる。おいしいものを囲むと、人の気持ちはいつもより柔らかくなるのかもしれない。
福井県で出会った生産者さんは、土地の特性をよく理解し、自然に抗うことなくその恩恵を最大限に活かすプロだ。冬になると2m もの積雪がある福井県。今年の冬も、うんと寒くなる。だが、春になるとまたミネラルたっぷりの雪解け水が山から流れ、おいしい食べ物を育てるのだろう。そうやって四季の移り変わりとともに自然と寄り添って暮らしてきたのだ。福井県で、毎日の食卓を大切にしたくなる時間を過ごすことができた気がする。さぁ今晩は、何を食べようか。おいしいものを育ててくれている生産者さんを想いながら食卓を囲む幸せ。わくわくしてきた。