イグレック丸の内 山口シェフ 宮城の生産地を訪れる
東日本大震災以来、東北地方の「食」の生産者は窮地に立たされている。特に、必要な検査で安全と確認されているにも関わらず、生産地が東北というだけで消費者が買い控えする「風評被害」に苦しむ農業、漁業関係者は後を絶たない。
その一方、首都圏に暮らしながら、大震災で被災した人々のために何かできないだろうか。被災地に行かなくても、たとえ行けなくても、日常の暮らしの中でできることはないかと考える人も多い。そんな人たちが集まって、東北の食材を積極的に購入するなど、食を通じて被災地を応援しようという動きも活発になってきている。
そんな中、三菱地所が運営する「食育丸の内」プロジェクトで結成された「丸の内シェフズクラブ」の面々も東北の生産者を応援しようと立ち上がった。中でも、神戸北野ホテル総支配人・総料理長として腕を振るう山口浩シェフは特別な思いで東北の被災地を見つめていた。
山口シェフは、世界的なグルメガイドミシュランで三ツ星を獲得したフランスの「ラ・コート・ドール」(現ルレ・ベルナール・ロワゾー)の門を叩き、20世紀を代表する料理人として知られるベルナール・ロワゾーの薫陶を受けた一人だ。バターや生クリームを用いた重厚なフランス料理とは一線を画し、食材の持つポテンシャルを最大限に引き出す独自の調理法は「水の料理」と称賛され、山口シェフもそんな師匠の精神を継承している。
1992年、山口シェフはフランス修行から帰国後、「ラ・コート・ドール神戸」の総料理長を任される。師匠であるベルナール・ロワゾーの初海外支店だった。順調に開店し、経営が軌道に乗ってきた矢先、阪神淡路大震災に遭遇する。
「あの時はもう先が見えないというか、ギャグの一言も口を突いて出てこない。絶望ですよね。厨房はメチャクチャ。神戸の街は真っ暗で光ひとつありません。あの光景は今でも忘れられません」
結局、震災を契機に店は閉店。山口シェフも一時は職を失うのだが、その後、同じく震災で閉店していた「神戸北野ホテル」の経営を打診され、今では押しも押されぬ日本を代表するオーベルジュにまで成長させた。
「震災がきっかけで、何もかも失いました。けれども、自分の活躍できる現場を失ってみて分かったことは、やっぱり自分は料理人で、料理が好きだということ。今回の大震災でも、あの時と同じ絶望を感じている人がたくさんいると思います。だからこそ、料理人という立場で何とか被災地を応援できないかと考えていました」
牛肉の本場、神戸からやってきた山口シェフもこの牛であればと太鼓判を押す。
そんな山口シェフが仙台空港に降り立ったのは12月下旬。2月、復興支援を目的に丸の内で行われるシェフズランチ企画「はらくっつい 宮城食堂」の東北応援メニューで創作する調理食材を自分の目で確かめようというのだ。目指したのは、宮城県の北西に位置し、秋田県、岩手県と隣接する栗原市。この町は2008年に発生し、マグニチュード7.2を観測した「岩手・宮城内陸地震」を経験した町でもある。
お目当てはこの地で生産される「漢方和牛」。和牛といえば神戸牛に代表される霜降り肉が人気だったが、近年は消費者のヘルシー志向も手伝って赤身の肉に注目が集まっている。今、この牛も赤身と脂のバランスがいい肉として注目を浴びているそうだ。
訪問したのは、栗駒山の麓に広がる「関村牧場」。栗原市を中心に、繁殖牧場が4カ所、育成牧場が1カ所、肥育牧場が10カ所を運営している。畜産農家としては決して大規模ではないが、種付けから出荷までの工程を一貫して行っている。
「一般のブランド牛は霜を肉に入れるために、血統を管理して人工授精による交配を行っています。霜降りになることを最優先に種牛を選んでコントロールするのです。これに対し、漢方和牛は自然交配です。牛の健康、食べる人のおいしさを大事にしながら牛肉本来の味をかなえようと努力しています」
と、語るのは関村牧場の関村清幸さんである。もともとは、仙台牛など霜降り肉を生産していたが、BSE問題を契機に健康な牛作りに目覚めた。その決め手となったのがエサ。配合飼料といっしょに牛に与えるエゴマ、クコの実、ナツメなど14種類の漢方薬だ。
「漢方というと漢方薬。人を健康に保ち、自然治癒力を高める東洋の知恵です。人にいいものは牛にも絶対にいい。到達する肉の質を吟味しながら、試行錯誤をくりかえした結果、現在の調合にたどり着きました」
エゴマ、クコの実、ナツメなど、14種類の漢方薬を配合餌に混ぜて与える。
そうして生産される「漢方和牛」の特徴は、他の牛に比べて脂肪分の融点(融ける温度)が23.9度と低いことだという。
「この数字は牛肉の中ではとても低い方です。私たちの体温が36度前後ですから、お腹の中で溶けやすく、体内に脂が残りにくいのです。融点が低いことだけが絶対条件ではありませんが、ほどよく入った良質の脂肪は旨味のもとになります」
確かに、焼いた時に牛の独特のにおいがない。そして、食べた時にくどくなく、いくら食べても後味がサッパリしている。
この点を山口シェフも評価する。
「シンプルに焼肉としていただきましたが、肉もいいですけど内臓がキレイですね。まったくクセがなくいくらでも食べられます。これだけ融点が低いのであれば、普段は豚や鶏で作るフランス料理の伝統料理パテ・ド・カンパーニュなんかもできそうですね」
と、大満足の様子。山の斜面に作られた牧場では、粉雪が舞う中、元気に牛たちが放牧されていた。山口シェフも自ら、牛たちの好物である熊笹を食べさせるなど交流も果たした。こうして、メイン料理はこの漢方和牛を使うことに決まった。
「2008年の大地震から立ち直って、そして今回の大震災の風評被害です。どれだけ生産者がいいものを作っても、それは生産者やシェフのもとに届かないのが悲しい。流通業者の方とも協力して、安全でおいしい肉を広めたいと思っています」(漢方和牛を扱う株式会社ダイチ・佐藤勝郎代表取締役)
漢方和牛の真骨頂は赤身肉。あっさりとしていながら、牛肉本来の味を楽しむことができる。
いったん仙台に引き返して向かったのは名取市。太平洋に面し、赤貝の産地として知られる閖上(ゆりあげ)など農業と共に水産業が盛んな町だ。太平洋から押し寄せた大津波が内陸にまで達し多数の被害をもたらした。この地では、古くから「仙台雪菜」という青菜が栽培されている。
仙台雪菜はター菜と呼ばれる中国野菜にも似た青菜で、晩秋から出荷が始まり、12月に入り寒さが一段と増す頃から旬を迎える。霜や雪など寒さに当たると葉っぱの部分が縮むことから、「ちぢみゆきな」とも呼ばれている。風雪に耐えるため大地を這うように葉っぱを広げ、寒くなればなるほどに甘味が増すのだという。
この仙台雪菜を栽培している相原農園の相原康彦さんが畑に案内してくださった。畑は津波が河口から10キロ以上も遡上したと言われる名取川の河川敷だった。河口に近い集落は壊滅的な被害を受け、津波によって打ち上げられた漁船の残骸が震災から9か月経った現在も放置されている。
「噛めば噛むほどに甘味があふれる、これを使わない手はないよね」、と仙台雪菜を手に語る山口シェフ
「何しろ糖度が高いのが特徴です。ほら、噛めば噛むほどに甘味が広がっていくでしょう。地元ではお味噌汁など汁物の具にするのが一般的ですね」
さっそく、山口シェフも新芽の部分を試食する。食べるなりパッと表情が明るくなる。
「この味は新鮮だな。フランスにはない野菜だし、ホウレン草とも違う。この甘味を料理にどう使うかだね」
こうして、山口シェフの仙台訪問は終了した。年末の忙しい時期を裂いての視察だったが果たしてどんな印象を受けたのだろうか。「仙台の町中にもう震災の痕跡はなかったね。だけど神戸の経験からすると、被災された人の心の中にはまだまだあらゆる意味の不安がある。けれども、今の私や神戸の街がそうであるように、ゼロから必ず人は復活するんですよ。そんな未来への希望を今回の料理に込めたいと思います」
さて、仙台の食材を使った山口シェフのメニューはどんな仕上がりになったのか。詳しくは下記をご覧ください。
文・ノンフィクションライター・中原一歩
肉にストレスを掛けないようコンソメで低温ポッシュし、漢方を食べて元気なレバーと甘みのある仙台雪菜とトリュフのソースをラビオリに閉じ込めました。
新丸ビル5階/東京都千代田区丸の内1-5-1/☎ 03-3211-1909/提供期間 2012年2月20日(月) ~3月4日(日) ディナータイム 17:30~21:30 (LO 月~土 21:30、日・祝 20:30)/予約優先
宮城、東北の食材なら本ネットワークにお問合せ下さい。メニューで東北の食材を使用したいなどご要望に応じた食材をご提案致します。
desk@food-miyagi.jp
相原農園
(宮城県仙台市若林区) 生産者:相原さん
3haの農地で露地にこだわって野菜を作っています。
※津波により畑の一部を被災
※個別の放射能測定もクリアーしています。
(宮城県栗原市) 生産者:関村さん
食にこだわり、情熱と愛情で生み出す。安心・信頼の品質を、心を込めて食卓にお届けします。