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元気になる日本の味めぐり05 東京から2000キロ、石垣島の人と自然が教えてくれたこと

島のソウルフードに出会う

 翌朝、西からの強風がゴビ砂漠から黄砂を運び、若干視界が鈍る中、海に面したホテルから内陸へ、サトウキビ畑やパイナップル畑を脇目に車を走らせた。
早起きして向かったその場所は、ゆし豆腐と島豆腐を作り続けて50年の老舗、「豆腐の比嘉」。
石垣まで来たからには、島のソウルフードを朝からたっぷりいただこうではないか。

 「おはようございます!」絞りたての豆乳の香りと湯気に誘われて、厨房にまで入ってゆく遠藤料理長。沸騰する大きな鍋の中でまさにゆし豆腐がその姿を見せ始めていた。
ゆし豆腐とは沸騰させた豆乳ににがりを加え、凝固し始めた状態をその汁と共にいただくおぼろ豆腐のようなもの。沖縄の朝食では定番中の定番だが、極端に言えば一日何度でも食べる。ゆし豆腐はあたたかい状態で汁とともにスーパーなどでも売られている、もしもここがフランス パリならば、焼きたてのバゲットのような身近な存在なのである。

 この日遠藤料理長が朝食に注文したのは「ゆし豆腐そば」だった。沖縄そばにゆし豆腐をたっぷりトッピングしたものだ。もれなくおかわり自由の搾りたて豆乳も付いてくる。
熱々のゆし豆腐を味わって、遠藤料理長の感想はひとこと「濃厚!」。醤油や薬味なしでも十分においしく、深い味わいだ。
純粋で上質なタンパク質をこうして日々の食卓にたっぷり取り入れることが、島の長寿の秘訣なのだろう。沖縄の方言で「料理」は”ぬちぐすい”(命の薬)と言われる。まさに医食同源、大陸(中国)の食文化にも通じる生活術である。

※ 「ゆし豆腐そば」

※ ゆし豆腐を木型に流して重石をする、島豆腐作り

 さらに車は北上し、次に向かったのは「花谷(はなたに)農園」。「なにより新鮮で、味がはっきりしている」と遠藤料理長が惚れこむ野菜たちが育つ現場を訪ねた。
沖縄県で一番高い山、於茂登岳(526m)の麓に広がる農作地帯に花谷農園の畑は点在している。日に焼けた笑顔で迎えてくれた花谷史郎さんに案内され、野菜の出荷場へ。

 「そうそう、これ!」淡い緑色の”ししとう”のようなものを手にした遠藤料理長。それはタイ唐辛子だった。「これを半分に切って、さっと油通しして炒めると、甘みが出るんだよ。」遠藤料理長いわく、唐辛子は油との相性が特によいとのこと。
食文化の東西交流地シンガポールに本店のある「四川豆花飯荘」では、「正宗流」と呼ばれる正統派四川料理と「シンガポール四川」を融合させた独自の料理スタイルを展開している。遠藤料理長は石垣島の野菜に、本土にはない南国の風味、アジアのイメージを重ね合わせているようだ。

 台湾由来の「白ゴーヤ」、太った胡瓜のような「広東瓜(かんとんうり)」、タイ唐辛子」(上写真左から)や十角瓜(じゅっかくうり)など、珍しい野菜たちが出荷を待っている。
「こうした新しい野菜の栽培は、最低でも3年くらいかけてゆっくり練り上げてゆくんです。」と花谷さん。

 出荷所の裏にあるハウスでは、秋から6月にかけてゴーヤが栽培されている。花谷農園はゴーヤの出荷量では島で一番。さらに遠藤料理長も使っている黄ズッキーニ、そしてカボチャやスイカなどは、本土の最盛期と収穫時期が異なるため、より付加価値の高い農作物として島から外へ出荷が可能だ。それは40年前、神奈川県から小笠原島に渡り農業を始めた父親から史郎さんが教わった”島の野菜栽培と出荷のサイクル”であるという。
石垣島で生まれ、東京の農業大学で知り合った奥様と共に、4年前から花谷農園の二代目として毎日野菜と向かいあっている花谷史郎さんが最後に見せてくれたのは、こちらでは日常的に使われる野菜、ナーベラー(へちま)。

 「皮をむいて弱火で炒めると”ドゥージル”という甘い汁が果肉から出るんです。ナーベラーも、いつかゴーヤのようにポピュラーになって欲しいですね。」遠くの畑を見つめながら、そんな夢を語ってくれた。それは長年父親と共に花谷農園を支えて来た史郎さんの母、友子さんの強い願いでもある。

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