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【イベントレポート前編】HAKKO MARUNOUCHIスペシャルトーク「おいしくてカラダに嬉しい発酵のはなし」

はじめのトークは、“発酵”とともに歩む人生を選んだ理由

一人ひとりが発酵することで、まちも発酵する。発酵食で人もまちも元気に。──このテーマの下、4月1日~5月7日に「HAKKO MARUNOUCHI 2023 Spring」が開催されました。腸と脳は密接に関係していると言われていますが、日々の食事に発酵食品を取り入れると腸内環境が整い、こころと身体の健康につながります。そんな“発酵した人”が集まれば、まちも元気になる、との思いからスタートしたイベントは、今回で第3回の開催となりました。

期間中の4月22日(土)には、スペシャルトーク「おいしくてカラダに嬉しい発酵のはなし」を開催。会場となった「MY Shokudo Hall&Kitchen」は、平日の昼限定で、全国各地の旬の食材や発酵食材を使った具沢山のお味噌汁とおむすびを提供する「みそスープBAR」を営業している、丸の内エリア随一の“発酵”の発信地です。

さて「おいしくてカラダに嬉しい発酵のはなし」は、開催の挨拶が終わるとすぐに、ゲストの株式会社 菱六の助野彰彦さん、麹文化研究家のなかじさん、発酵料理家の村上友美さんがご登場。さっそく自己紹介を兼ねた、トークタイムとなりました。

はじめのトークでお聞きしたのは、“発酵”とともに歩む人生を選んだ理由。「どのようにして発酵と出会われたのか、『発酵人生』のスタートについて」です。それぞれの方のお話をご紹介します。

【はじめのトーク:「発酵人生」のスタート】
株式会社 菱六 代表取締役社長
助野彰彦さん

PROFILE:京都市北区生まれ。家業の「菱六もやし」は京都で唯一の種麹屋であり、創業約300年以上の老舗。麹を利用する発酵食をつくるのに欠かせない種麹屋は数少なく、全国で約7社。菱六の種麹は、京都のみならず全国各地に出荷されており、日本の発酵文化を支えるといっても過言でないはず。産学官連携で米麹を用いた新規食品原料の開発を行うなど、麹の新たな用途展開を見出す。また、麹体験講座を主催、麹に関する講演も多数行っている。
https://1469.stores.jp/(種麹のオンライン販売ほか、体験講座等も受付)

助野さん:「醸造蔵の息子」と聞くと、自宅に蔵が隣接していて、小さい時から職人さんに遊んでもらって育つ…といった状況をイメージされる方が多いと思いますが、私の場合は家から蔵までは自転車で30分くらいの距離があり、幸か不幸か、大人になるまで家業を知りませんでした。父を早くに亡くしていたこともありますが、野球や軟式テニスに打ち込み、普通に東京の大学に入学しました。就職活動を迎えた時に、一度、京都へ帰ったら、母から「うちも商売してるで」って言われて、そういえばそうだったな、と。その話を聞いた後で、私の家が昔から通っているお寺で占ってもらうことにしました。京都で商売している人は割とよく占いに行くんですよ。占い師のおばあさんには「あんたは、勤め人は無理やないか。家の仕事を勉強した方がいいんとちゃいますか」と言われて。その言い方が妙に説得力があったので、進路変更することにしました。でも、私は理科が嫌いで、思いっきり文系。その後、就職活動で酒蔵さんの営業職を受けてみたら、面接官に「何で菱六さんがここにいるんですか」と言われ、受けるなら醸造の方でしょうといった反応でした。そんな時、東京農業大学に短大があると知り、「2年間なら何とかなるやろ」と思って入学することに。体育会系の部活だった大学時代はあまり楽しい思い出がなかったので、「短大は女子学生がほとんどやし。失った4年間を取り戻せる」という気持ちもありました(笑)。ここで初めて「麹」という言葉を知りましたし、最初に買った『麹学』という本の冒頭のページに「種麹」や「菱六」の名が載っていて、自分が生まれ育った家のことを改めて理解しました。農大では幸いなことに、食品会社から出向されていた人が研究室にいて、その方からみっちりと基礎を学ばせてもらえました。それから月日が流れ、今年で23年目になります。

うちの会社に入った当初は、おばあちゃんが仕切っていたので、ゆるい組織だなと感じました(笑)。ずっと体育会系だったので、組織的にビシッとしている方が好きで。でも、初めの1~2年は大人しくしながら、徐々に外堀から埋めていき、最終的には「米を蒸す機械」と「布」以外は全部変えさせてもらいました。その後は自分なりに考えて、新たな挑戦もすることができました。

昨日までの3日間は、京都で「麹体験教室」を開催していまして、青森から愛媛まで、全国から集まっていただいた方に、米を蒸すところから麹が出来上がるところまでを体験していただきました。今、特に私が力を入れているのは「麹の認知度をあげたい」ということです。そのために様々な活動に取り組んでいます。

株式会社 麹の学校 代表/麹文化研究家/元蔵人
なかじさん
PROFILE:1979年大分県生まれ。料理研究家・中島デコ氏に師事し、自給的暮らし・陰陽論を学ぶ。その後、造り酒屋・寺田本家に8年間勤め、蔵人頭としてお酒造りに従事。日本酒を通して麹・発酵の原理を知り、伝統的な自然発酵の手法を身につける。また、寺田啓介氏より発酵醸造と哲学を学んだ。その後、独立し、2016年にはオンラインスクール「麹の学校」の運営を開始。日本および世界中に日本の麹・発酵文化を伝えている。
https://www.nakaji-minami.com/

なかじさん:僕はもともと芸術系の大学で、陶芸をやっていました。その頃、ちょうどバックパッカーが流行って、僕も東南アジアなど世界中を旅するように。現地では若者の集まる安宿に行き、お酒を飲み、音楽を聞いて過ごすことがよくありました。そんな時、海外の若者って古い民謡とか国歌を普通に歌えるんですよね。日本人は、民謡も君が代も、誰ひとり歌えません。それは歌に限った話ではなく、海外の人たちは自国の文化にすごくプライド持っていると感じました。海外への憧れだけで旅をしていた僕は、世界の人に日本人として何も伝えることができない、世界に出るなら日本の文化をもっと知らないといけない、と思いました。それがきっかけで大学を4年生の時に中退し、「鼓童」という伝統芸能の研修所に入って、和太鼓、民謡、民舞などを学びました。

その後、めぐりめぐって関東に住むようになり、転機となったのが偶然紹介された「寺田本家」という日本酒の蔵元さんです。代表の方とお話しした時に、「そういえば、お酒造りの歌がありますよ」と伝統的な酒屋唄を歌ったら気に入っていただいて、社員として採用されました(笑)。発酵も醸造も何も知らないまま入ったので初めは大変でしたが、あっという間に酒づくりの面白さにハマっていきましたね。僕にとって、そこが寺田本家だった、というのが幸運でした。寺田本家では「生酛(きもと)づくり」を行っていたからです。生酛造りは、冬の寒い時期に麹と蒸し米と水を置いておき、やがて空気中の微生物が降りてきて、発酵が自然に始まるのを待つ方法です。江戸時代から続く伝統的な醸造方法で、発酵するかもしれないし・しないかもしれない、どんな微生物が来るかもわかりません。安定供給ができないため、現在行っている蔵元は限られています。そんな生酛づくりとの出会いがきっかけになり、僕は発酵の道を歩むことになりました。毎日、米と麹が混ざり合ったタンクを見守っていると、突然“発酵が始まる瞬間”を目撃できるのです。何もなかったところから泡がポコポコと起き始め、急に生命活動が始まります。初めてその光景を見た時に、ものすごく深い感動を覚えました。

蔵人になって何年か経った頃、世間で「発酵」が注目され始め、僕も「麹造りを教えてください」と言われることが多くなりました。いろんな依頼を受けていたら、やがて活動の場が全国に広がっていき、独立して、麹を教えることがメインの仕事になったのです。今の活動の中心は「プロならではの麹の技術を、一般の人の台所へ届けること」。SNSを利用したり、3年前に『麹本』という書籍を発行したり、様々なメディアを通じて一般家庭の台所で麹を作る方法をお伝えしています。『麹本』には日本語と英語が併記されていますが、海外から注文していただくことも多く、日本の麹が世界に広がりつつあることを実感しています。

発酵料理家
村上友美さん

PROFILE:愛媛県・伯方島出身。発酵料理家として、発酵をテーマにしたオンライン教室「kitchen studio たべものさし」を主宰する他、黒麹甘酒や発酵調味料のオリジナルブランド「1day spoon」も手がける。毎月300件を超える黒麹甘酒の定期便は、人気殺到につき現在予約待ち。
https://tabemonosashi.com/

村上さん:私が料理の仕事を始めたのは30歳の頃。きっかけは、29歳の時に初期のがんになったことでした。私の親族でがんになった人はいないですし、あまりにも信じられなくて、医師に「なぜ私が」と聞いたら、「あなたの場合、食生活とストレスが原因です」と。これからどうやって生きていこうかと人生のどん底にいた時に、「20代で発症すると進行が早く、気づかなかったら亡くなっていたかもしれない」と言われて「自分は生かされたんだ」と思いました。その後、食と健康の関係について勉強し始めました。やがて、学んだことを仕事にしたいと考えるようになり、「35歳で料理教室を持つ」という目標を掲げて、料理の世界に入りました。

こうして始めた料理教室は、もともとは日々の食で健康になることをテーマにしていましたが、健康情報を出し過ぎると皆さんに響きにくいことがあって、次第に「楽しくて美味しい」という方向に移行していきました。でも、生徒さんと話をしていると「寝起きがしんどい」とか「肌荒れが気になる」とか、病気ではないけど小さな不調を抱えている方が大勢いて、やっぱり日常の食事で解決できるといいよね、と思い直すように。そこから、「健康的=美味しくないもの」というイメージを覆す「体に良くて美味しいもの」は何かないかと探し始めました。数年後、いよいよ見つけたのが「麹」です。初めて麹づくりを体験して、これだ!と思いました。

発酵を学び始めてから、特に好きになったのが黒麹です。でも、種麹を種麹屋さんから買うのは敷居が高いなと思っていたら、菱六さんが一般用に売ってくださっていたので助かりました。黒麹で甘酒を作ったら、料理教室の生徒さんから購入希望が多かったので、少しずつ販売するように。さらに、コロナ禍を経てより多くの方に黒麹甘酒を買っていただけるようになり、「家庭用をはるかに超えた大量の種麹を、個人に販売していただけるのだろうか」と不安になって、菱六さんに電話したことがあります。今後も継続して売っていただけると、やさしい対応でした(笑)。

また、黒麹甘酒を売ることになってからは、なかじさんに助けていただきました。私は素人から独学でスタートしたので、どうにも知識が至らないところがあり、黒麹甘酒を売る時に、麹や発酵のことをもっと学びたいと思いました。でも、難しい論文だと手が出せませんし、どうやって勉強したらいいのかわからなくて。そんな時に、なかじさんの「麹の学校」を発見し、すぐに入学しました。それが心のよりどころになったというか、基礎からいろいろと学べて自信が持てるようになりました。

──はじめのトークでそれぞれの「発酵人生」に耳を傾けた後は、ゲストの3人がお届けする「麹」を学び、体験する時間です。助野さんから順に1人ずつ登壇していきました。

助野さんによる
「発酵とは何か?」ミニ講座


発酵食の分類表。発酵食は、カビ、酵母、細菌の3つのグループに分けることができるそう

京都にある助野さんのお店には、「菱六もやし」という看板が掲げられています。平安時代、種麹のことを「よね(米)のもやし(生えたもの)」と呼んでいたことから、種麹屋さんは別名「もやし屋」となったそうです。では、米から何が生えるのか?と言えば、いわゆる「カビ」。麹菌とはカビの一種だ、というお話から、助野さんの「麹とは何か」の講義が始まりました。

「カビ、酵母、細菌──。発酵食とは、その3種類の微生物の働きによって作られる食べ物のことです」。そう話しながら、助野さんはスライドに投影された発酵食の分類表を1つずつ説明していきます。パンやチーズ、ワイン、お酢や納豆まで、一言に「発酵食」といっても、カビ、酵母、細菌など、由来する微生物が異なることが明らかになっていきました。

「私たち種麹屋は、麹菌を培養しています。麹菌は自然界にいろんな種類が存在していますが、中にはカビ毒を出すものもあり、きちんと安全性を確かめたものだけを扱っています。多種多様な麹菌の中から、お酒にづくり向くもの、味噌に向くものなどを選んで、酒屋さんや味噌屋さんに販売しています」(助野さん)。たとえば毎年秋になると酒蔵に行って「去年の酒はどうでしたか、今年はどうしましょう」といった話をするのも、種麹屋さんの営業活動の1つだそうです。


会場内には4色の種麹が展示されていました。種麹というものを初めて見た、というお客様も多かったようです

「種麹は色で分けると、緑、白、黒、橙、全4色があります。『緑』は、日本酒や醤油づくりによく使われていますね。『白』は、近所のスーパーで売られている乾燥した米麹に使われているものです。『黒』は沖縄の泡盛。また、焼酎の中にも黒い麹菌でつくっているものがあります。『橙』は九州の焼酎。『黒』と『橙』には特徴があり、増殖する時にクエン酸を出すため、口に入れた時に酸味を感じます。酸味があるおかげで、沖縄、九州の温暖な気候でも腐敗しにくく、安全に泡盛や焼酎をつくることができるのです」(助野さん)。なお、醤油づくりやお酒づくりに「種麹」がそのまま使えるわけではなく、何らかの穀物に種麹を加えて「麹」に変えてから使うそうです。蒸したお米に種麹を加えて、麹菌が繁殖したものは「米麹」、麦を使えば「麦麹」、大豆を使えば「豆麹」となります。

「その種麹が酒づくりに向くか、味噌に向くかは、私たちが一度麹を作ってみて判断しています。その菌が持つ性格、たとえば『あの酵素がどのくらい含まれるか』『でんぷんやタンパク質を分解する力がどれくらいあるか』などを見ていくと傾向がわかるのです。菌を選んだら、今度は蔵元さんにも試してもらって『いけるかもね』といった会話を一緒にするわけですが、私の家ではこういったやり取りを約300年、脈々と重ねてきたのだと思います」(助野さん)。菌は生き物。人の思う通りにいかないことも多い中で、長い歳月をかけて「菱六もやし」に息づいてきた唯一無二の知恵と技術、その一端を味わえる学びの時間となりました。

──助野さんのミニ講義の後は、なかじさんのワークショップ、村上友美さんの発酵料理を味わいました。レポート後半へ続きます
https://shokumaru.jp/hakko_talk2023sp-2/

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