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元気になるニッポンの味めぐり2 「北海道白老町のあべ牛」

 ザクッ、ザクッ__。長靴の先端が雪原にとられる。辺りは見渡すかぎりの銀世界。広葉樹の森が一年でもっとも美しい色を醸す秋。牧場内を流れる小川には天然の鮭が遡上するという。

白樺並木のむこうにめざす牛舎はあった。

牧場の主、ブリーディング白老牧場の阿部正春さんが近づくと、大きく開け放たれた牛舎の窓から愛嬌ある面立ちの阿部さんの”子どもたち”が一斉にこっちを向いた。

「ここにいる牛たちはめんこくて、めんこくて仕方がないです。どの牛の顔も同じに見えるでしょう。実は一頭ずつぜんぜん違うんですよ。牛飼いの魅力は、私たち人間が手をかけただけ見事に『味』で応えてくれるんです」

3歳の雌の処女牛がいちばん旨い

 北の玄関口、新千歳空港から車で1時間半。北海道の南西に位置する苫小牧市に隣接する白老町。人口は2万人。北海道を代表する黒毛和牛「白老牛」の故郷は、アイヌとよばれる北方先住民の故郷でもある。現在およそ50戸の農家が肉牛の生産にたずさわっている。

その中でも、阿部さんがこだわるのは3歳の雌の処女牛。

「黒毛和牛の味の決め手は『サシ』なんです。儲けを考えたら400キロ、500キロに育つ雄牛を飼った方が断然いいのですが、大きい牛ほどサシの入りは荒くなり大味になります。だから味にこだわるなら300キロ止まりの雌牛です。何しろ、ビロードのようにきめ細やかな食感で、スルスルといくらでも胃に収まってしまいますから」

処女牛は去勢した雌牛に比べて体温が高い。そのため脂の融点が低く口溶けも早い。常温でも肉の両面にうっすらと脂肪が浮きだしてくるほどだ。これが絶対的な肉の旨さにつながる。

ここに目を止めたのが三國清三シェフだった。6年前、この肉の存在を知り生産者の顔が見たいと牧場を訪問した。開口一番、阿部さんはこう尋ねられたという。  「おまえのところの牛は3歳の雌の処女牛かって。おう、そうだって答えたのですが、それが日本を代表するフランス料理のシェフだと分かった時は感無量でした。自分の育てた肉の味をはじめて東京のプロが認めてくれた。今までの苦労が吹き飛びましたね」

旨い牛肉を作るこだわりが、周囲には偏屈に思われたこともあった。当時、3歳の雌の処女牛の味を知る人はほとんどいなかった。この地で牛飼いをはじめておよそ30年。いつかはこの味の真価をわかってくれる人が現れる。阿部さんにとってそれが信念だった。

アイヌの人々の知恵が牛を育てる

 食品を作っている意識で牛を育てるという阿部さんのこだわりはその育て方にある。えさは小麦やおからなどの植物性たんぱく質を中心に独自に配合。牛を育てるためだけに井戸を掘り、くみあげた地下水を与えている。畜産の世界では当たり前とされている医薬品は一切与えない。

「幼い頃、貧しかったのでこの土地に暮らすアイヌの人に世話になりました。彼らは決して自然とケンカはしない。彼らの言葉でカムイチェップ(神の魚)と呼ぶ鮭は、身を食べた後、皮を使って耐雪効果のある靴を作っていました。彼らの営みには無駄がなくすべて自然の中にあるのです」

牛たちが下痢など胃腸をこわすと「シコロ」という木の皮を与える。これはアイヌに伝わる自然薬で、漢方では黄柏と呼ばれる。また、野生動物が広葉樹の森の腐葉土を好んで食べることも教わった。新陳代謝を活発化させる強壮剤だという。阿部さんは、肥育の過程で生まれる堆肥を有機肥料として牧草地へ戻す取り組みもおこなっている。

「アイヌの人々の知恵こそ、自然の循環システムを守り、化学物質による環境への負荷をかけないという現代のオーガニック精神に通じるんですよ」

幼い頃、雪山で遭難しかけた。凍傷で震える体をアイヌのおばあさんが服を脱ぎ地肌で温めてくれたという。あの時の肌の温もりは半世紀以上たった今でも忘れない。この白老の土地を愛し、この土地で育てる牛たちにも並々ならぬ愛情を注ぐ。

三國シェフとの出会いが縁となり、肉質等級4以上の3歳の雌の処女牛に屋号である阿部の性をつけ「あべ牛」とした。ただ旨いでなく北海道の風土に根ざしたもの作り。あの時、自分を助けてくれたアイヌのおばあさんへのささやかな恩返しでもある。

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