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元気になるニッポンの味めぐり1 「京都府京丹後市・久美浜町の地野菜」

 夕方4時。突然、雨がやってきた。

雨は海に降り出し、川に沿って町。町を抜けて里。里を経て谷。段々畑を静かにかけ登ったかと思うと、大きな山桜の下で雨宿りをする私たちの頭上でピタッと止んだ。時にして15分あっただろうか。

丹後の山々のなだらかな稜線が、まだ少し夏の気配を残した雨に洗われキラキラと輝いている。段々畑には、収獲を目前に頭を垂れる稲穂の群。里には夕餉の支度だろうか、一筋の煙がたなびいている。弥生の頃から変わらない、日本の原風景が目の前に広がっていた。

京都府の北西端。兵庫県と接して久美浜町はある。三方を山に囲まれ、北方に日本海を望む汽水湖・久美浜湾。深い入り江のたもとに、兜山と呼ばれる小高い山があり、頂上からは日本海を一望できる。はるか海の向こうは大陸、朝鮮半島だ。久美浜は、古の頃より大陸との縁を密にしてきた湊町である。

久美浜に向かうには京都駅から特急、北近畿タンゴ鉄道というローカル線を乗り継ぐのがいい。が、私たちが選んだルートは陸路。京都市内から山陰道に入り、豊岡を経て4時間。折り重なるような山々の尾根を下り、ようやく、約束の大きな桜の木がある古民家にたどり着いた。

田んぼは八百万の生き物の住処

 雨の中、竹で編んだ傘をかぶった男性がスクーターに乗って現れた。本田進さん(61)。「市野々」と呼ばれるこの集落に生まれ育った地の百姓である。つい最近まで京都府の職員だったが、数年前に退職。念願かなって今は片手にクワを持ち自然農にこだわった米作りをしている。

「穂先の先端が黄金色になっても、生き生きとした稲を、『しょうがええ稲 』っていいます。つまり、生きてるって意味ですわ。米はこういう生きてるヤツを刈るのがええんです」

本田さんの棚田は谷の最奥部。稲作の命である水は谷川から引くのだが、上流に民家がないため生活排水の心配がない。また、長年放置された休耕田を自ら復活させたので残留農薬もない。徹底した自然農を実践する。

「よその田んぼをごらんなさい。稲の株と株との間が狭いでしょう。普通、1坪(3.3平米)あたり50~60株を植えます。しかし、私のは40株以下です。株と株の間も30センチ位は空けますよ。棚田に山風を呼び込んでやるのです。通気性を良くすることで病気を防ぎ、根元までしっかり日光が注ぐので丈夫な稲になります」

 こうして作られた稲を触ると硬質感がある。しかし、当然ながら収量は見込めない。その上、手間は必要以上にかかる。なぜ、化学肥料や除草剤を使わないのか。

「物心ついた時から田んぼにいます。親父の代までは収量を見込んで化学肥料も農薬も使いました。しかし、家族が健康を害してから考え方が変わりました。百姓は人の命を司る仕事。それを邪魔するものは出来るだけさけたい」

この決断は大変なものだった。自然農に切り替えて3年目の秋。それまで、10アール当たり600キロ近くあった収獲が、いよいよ、150キロまでに減少 。当時はまだ府の職員をしていたので生活の危機は免れたが、周囲から「あいつのやり方はおかしいんとちゃうか」。ずいぶん陰口を叩かれていたのでは、本田さんは推察する。

昨今、そんな本田さんの米作りが少しずつ注目されてきた。消費者が食の安全を気に留め出したのだ。しかし、一方で自然環境も大きく変化している。酷暑が続いた今年は平安の昔から一度も経験したことがない大暑と本田さんは分析する。

「日中もそうですが、夜、田んぼに入ると分かります。気温、水温共に25度を上回ると稲の生育に悪影響を与える。そこで、稲の根を冷やすことにしました。沢の水を昼夜かけ流しにするのです。中山間地の棚田だからできる方法なのですが、今年はこれで大難を逃れました」

懐中電灯を片手に、本田さんの田んぼに入らせてもらった。すると、稲の間を様々な小動物がうごめいている。クモ、ヘビ、カエル、ネズミ…。

ここは、八百万の世界だ。人間だけが生きるのではない、生物多様性の住みかがここにある。

大女将の想いに集まった人々

 こうした、本田さんのような志ある農家を支えるのが、京都を中心に店を構える料亭・和久傳の大女将・桑村綾さんである。そもそも、和久傳の発祥は丹後峰山の料理旅館がはじまり。その縁もあり、現在は「おもたせ」と呼ばれる加工食品の工房 が久美浜町にある。

「和久傳が丹後から京都へ移る際、有志の方が地元に残るように嘆願書を書いてくださいました。つまり、現在の和久傳があるのは、そんな丹後の人々があってこそなんです。いつか、恩返しをしたいと思っていました。何より、丹後半島は食材の宝庫。本田さんのような心ある生産者の食材を、私たちが少しだけ手を加え、他にはないお料理として提供できればと思っています」

例えば、同じ丹後半島の伊根町に伝わる在来種の小豆「薦池(こもいけ)大納言」。通常の小豆よりも2割ほど大きく、京菓子の材料として珍重されてきた。集落の人々が代々、自家採取を繰り返してきた伝承の豆だ。しかし、生産者の高齢化、過疎化で生産の存続が危ぶまれている。

そんな中、これまで薦池地区外では生育しないとされてきた豆を、丹後半島の他の地域で根付せようと取り組みが進んでいる。

 農家の堀田洋二さん(67)は言う。「晩秋から初冬にかけて幻の小豆が収獲できるかもしれない。今後、これを大切に育て継いで女将さんに納めたい。もちろん、無農薬、無化学肥料です。ですから、ほら、こうやって鹿が食べ荒らしにくるのです」

見ると、見事に若葉の部分だけ鹿の食み跡が残っていた。この小豆を使った和久傳の新しい名物が誕生する日も近いかもしれない。

「単純な自然環境を畑に再現してやります。必要なのは雑草。草は天然の養分になったり、暑い時期には地温を下げたり、草の根が自ら土を耕し柔らかい土壌を育ててくれます。草の生える土地こそいい作物が育つのです」

 天橋立から車で15分。「自然農法栽培家出荷組合Bio」 の青木伸一さん(48)は、自然農で作った野菜の宅配をやりながら、国道に面した古民家をカフェとして改装。自分たちの野菜を気軽に食べてもらえる場所として開放している。

「これから、地域が食で生き残るためには、自然保護、環境保護、安全な食が必要です。消費者の応援を受けながら食える農業を目指します」

 今日の献立。「根菜を中心とした野菜のスチーム」、「モロヘイヤとジャコのパスタ」。温もりのある日本家屋。縁側へ続く大きなガラス窓。地域の食材をどうやって活用していくか。今日も仲間との会話が弾む。

この場所をいつか「鎮守の森」に

 桑村さんは今、久美浜町に作った食品工房の周囲に「和久傳の森」を作り、山椒などを栽培しようと活動を続けている。教えを乞うたのは、これまで4000万本の木を植えたという植物生態学者の宮脇昭さん(82)である。

「シイ、タブ、カシなど、日本古来の照葉樹林に代表される『本物の森』は、日本の国土にはほとんど現存しない。ならば、植林しかないんです。木を3本植えれば森、5本植えれば森林。この地に鎮守の森を作りたい。ここで働き、この地で暮らす人々の生活を未来に残す意思なんです」

この森作りには、和久傳で働く従業員はもちろん、本田さんなど地域の生産者もこぞって参加し、共に汗を流した。

久美浜の地を経て京都へ進出。今は、京都を代表する料理屋となった和久傳。小さな苗木がひとつひとつ育ち、やがてひとつの森になるように。桑村さんの地元に恩返しがしたいという想いが今、カタチになろうとしている。

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