
●「食育丸の内」とは、三菱地所の「都市と食に関する問題」に取り組むプロジェクトの一環です。「食」に関する様々な活動を通じて、生産者、消費者、レストランが共に手を携え、人々が一層、心身共に健康になれる社会づくりを目指し活動していきます。
●丸の内エリアを中心に活躍されている、日本を代表する和食・フレンチ、イタリアン、アジアン、4ジャンルのシェフ26名によって構成される「丸の内シェフズクラブ」。ただ、調理するではなく、食育を合言葉に、実際に生産地に足を運んだり、子どもたちへの食育授業など様々な提案、イベント発信などを行っています。

九州生まれのぼくは、東京に出てきて初めて新鮮な刺身を酢飯に乗っけただけの「寿司」ではなく、素材ごとに職人の仕事に手仕事を加えた「江戸前鮨」の美味さを知った。
それまで、刺身といえばおどりに代表される、とれとれピチピチの鮮度こそ命だと思っていた。しかし、東京の職人たちは、鮮度の良い魚にも、あえて昆布や塩などを使って仕事を施し、「熟れ」という工程を経ることで、全く別物の旨さを放つ精妙な寿司を握った。ぼくは、「江戸」の職人仕事に覚醒した。
しかし、その反面、やっぱり食材は九州や北海道に代表される「地方」にこそ、本物の食材があると思っていた。日夜、東京の台所である築地には日本各地から随一の食材が集まる。つまり、東京は卓越した職人と舌の肥えた客がカウンター越しに競り合う、美食の桧舞台ではあっても、優秀な生産地ではないと思い込んでいた。
しかし、つい最近、その思いを新たにするきっかけがあった。東京・麹町のイタリアン「サロンド・カッパ」オーナーシェフ田口明夫さんといっしょに「練馬」を訪問したのだ。もともと、田口さんは三軒茶屋にある「グッチーナ」という自身の店で腕を振るってきた。東京の街場イタリアンの先駆けである。しかし、駆け出しの頃に働いていた店でカレーライスを出しており、その味が当時のお客に評判だったのを思い出し「昼間は欧風カレー、夜は本格イタリアン」という一風変わったスタイルの新店舗を昨年オープンさせた。 「カレーといっても、1週間以上かけてつくるドミグラスソースがベースです。スパイシーというより、ビーフシチューのようなコクのあるオリジナルカレーなのですが、そのカレーの食材を東京産で揃えたいと思っているんです」
実は練馬区は東京23区の中でも最大の農地面積を誇る街。たくあん漬けで知られる「練馬大根」が有名だが、その他にも季節を通じて少量多品目の野菜が揃う。驚くことに、練馬区内には、野菜の自宅販売、無人販売が299戸、直売所が113戸と、スーパー、量販店を凌ぐ数の「農家直売所」がある。それらは全て近隣の農家が運営している。
東京・丸の内からバスに揺られること30分。私たちが到着したのは「JA東京あおば」が運営する直売所だ。平日の午前中だというのに、店舗はたくさんの買い物客で賑わっている。中にはバスで1時間以上かけて、板橋からやってくるという年配の方の姿も。ここの売りはなんといっても、同じ野菜でも違う作り手の野菜が揃っているという点だ。
同じトマトでも、「大玉の完熟3個で200円」「大、中、小と大きさの違うトマトが7、8個入って350円」と全く違う。
この直売所に足繁く通う年配の方に話を聞いた。
「私はもう70歳になるけど、昔はこのあたりみんな畑だったんです。だから野菜の味をみんな知っています。その分目利きも厳しい。どの人が作った野菜か、生産者の名前をチェックしておいて、旬の時期にはたくさん買ってご近所さんにもおすそ分けをします」
見ず知らずの人が、食材を介してお友達になったり、会話が弾むのも直売所ならではの楽しさだ。田口さんも真剣な表情で野菜を見定めている。どうやら、人参に興味があるようだ。
「地元の人がこうやって対面で野菜を売ったり、買ったりするのはいいですね。ただし、プロが使う食材はまた違う。その食材を使って料理をして、お客様からお金を頂戴するわけですから、単に『朝採れです』ではダメなんです」
田口さんが重視するのは「香り」だ。プロはこの野菜が昨日収穫されたものか、今日収穫されたものか一目で分かると田口さんは言う。直売という販売形式がもっと広まって欲しい。同時に、都内産農産物に対して、他産地にないプロの気持ちを鷲掴みにするような本物の野菜を目指して欲しいとエールを送る。
田口さんは続いて、練馬区でキャベツを作っている井口良男さんの畑を訪問した。練馬区と武蔵野市の区境、千川上水という古くからの疎水が田んぼの脇を流れる。こんもりとした武蔵野の杜に寄り添うように畑が点在している。
「キャベツって練馬が誇る野菜でした。同じ練馬区の石神井公園には、『甘藍(キャベツ)の碑』もあるほどです。キャベツは二期作で、春は5月から7月、秋は11月から12月に最盛期を迎えます」
面白いのは畑が、住宅地を縫うようにして広がっていることだ。都市部における農地の役割は、単に野菜を生産する以外にも、生活にうるおいを与える緑地空間として、そして災害時の避難場所としても重宝するという。
田口さんは畑に入るなり、楽しそうにいろんな野菜を眺めながら試食も繰り返している。
「こういう畑には躍動感があるよね。キュウリの表面には立派なトゲがあるし、トマトは強烈な青臭い香りを放っている。こういう野趣というか、瑞々しさが本当の野菜なんだよね。東京は生産地と消費地が近距離で結ばれているので、一番野菜のおいしいタイミングで収穫できるのがうれしいよね」
井口さんも、キャベツには食べごろの「顔」があると、二つの収穫時期の異なるキャベツを生で試食をさせてくれた。
「この味の差が分かりますか。瑞々しいのは当然ですが、いつ収穫するか、その最良のタイミングを図ることで、その食材の最良の味を提供することができます。タイミングを間違えると、なんだか気が抜けたような、ただ水っぽい味になります」
日本でキャベツが栽培されるようになったのは戦後。食生活の欧風化が進み、キャベツの需要が高まってからだという。およそ30年前、井口さんがキャベツの産地として名高い長野県の嬬恋村を訪れた時には、東京で生産されるキャベツの年間出荷量が、当時の嬬恋村とほとんど変わらない量だったという。つまり、練馬では都市化が進むにつれ農地は減少。この30年間で農地面積は3分の1に。農業従事者は約6分の1に減少しているという。
田口さんは言う。
「もっとシェフである私たちも東京の野菜、東京の環境、歴史に興味を持ったらいいと思います。みんなで東京の野菜の良さを買い支えして行くべきです。だから、こういう現場の視察にもっとたくさんのシェフが参加して、そのシェフならではの感性、料理の発想などで野菜の使い方も開拓できると思います」
今回、まさか都心から車で30分の場所に、これだけの農地があるとは思ってもみなかった。そして、あの瑞々しいキャベツの味。これは、どんなに環境がいい地方のキャベツの産地であっても、東京で手に入れようとすると輸送など流通に時間がかかってします。それが当たり前の時代だからこそ、本当の意味での朝採れの野菜の香気を私たちは知らないまま過ごしている。
東京は奥が深い。実は練馬だけでなく、奥多摩のような山間地、武蔵野市など平野部、そして、練馬や足立など都市部とさまざまな場所に実は耕作地が残っていて、季節を通じて多彩な野菜が作られているのだ。東京というと「消費地」のイメージばかりだが、こうした「生産地」としての東京の姿を見ることで、食を通じた、都市と地方の関係までも考えるきっかけになる。
文・ノンフィクションライター・中原一歩
写真・フードフォトグラファー・宮崎純一
●日本には世界に胸を張る食材があります。
日本には一口食べたら体も心も元気になる食材があります。
生産者の日々の努力と、かけがえのない日本の風土が生み出す食材たち。
おいしいに人生を捧げた人たちの哲学に触れることで、まだ見ぬニッポンの食の奥深さを再発見しましょう。
私たちを元気にしてくれる、日本全国の生産者に出会う旅がスタートしました。
●冬の日本海の味覚の王者「越前がに」。その中でも「献上がに」と呼ばれる幻の越前がにを頂くため、丸の内シェフズクラブ会長・服部幸應さん、「ミクニマルノウチ」オーナー・三國清三さんが、福井県坂井市三国町を訪れました。
●フレンチの巨匠である三國清三シェフが、北海道にこれ以上の牛肉はない。と断言するあべ牛は、3歳の処女牛しか提供しないという徹底したこだわりがあります。肉の味を知り尽くしたシェフと、わが子のように愛情をこめて牛を飼育する生産者。そこには、ゆるぎない信頼とたゆまぬ努力の過程がありました。