About

「食育丸の内」とは、三菱地所の「都市と食に関する問題」に取り組むプロジェクトの一環です。「食」に関する様々な活動を通じて、生産者、消費者、レストランが共に手を携え、人々が一層、心身共に健康になれる社会づくりを目指し活動していきます。

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Chef's Club

丸の内エリアを中心に活躍されている、日本を代表する和食・フレンチ、イタリアン、アジアン、4ジャンルのシェフ26名によって構成される「丸の内シェフズクラブ」。ただ、調理するではなく、食育を合言葉に、実際に生産地に足を運んだり、子どもたちへの食育授業など様々な提案、イベント発信などを行っています。

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Contents

マルシェに行こう
イートアカデミー
旬のシェフズランチ
子どもの食育ウェルカムキッズ
シェフの履歴書
服部幸應の食育のツボ
私を育てた『あの時、あの味』
元気になるニッポンの味めぐり
ラブテリ東京&NYヘルスリテラシー向上委員会
Will Conscious Marunouchi
私を育てた「あの時、あの味」玉村豊男

 長野新幹線上田駅から車で20分ほどのところにある長野県東御市に移住したのは今から22年前、1991年のことです。私はそれまで軽井沢に住んでいたのですが、ある人からこの土地を紹介されて、一目でこの丘からの風景に惚れてしまいました。雄大な千曲川の流れとともに、上田の町並みを一望できて、晴れた日には遠くに北アルプスの山並みが映える。何よりこの斜面がフランスのワイン畑を彷彿とさせるじゃないですか。私は妻と二人でこの地に移住し荒地だった山の斜面を切り開いて畑を作りました。もともと西洋野菜を作る予定だったのですが、趣味でワイン用のブドウを作ってみたのが物語のスタートでした。収穫したブドウは、隣接する小諸市の「マンズワイン」で蒸留してもらって、自家製ワインを作って楽しんでいました。

 ちょうど同じ頃、私はワイン好きが高じて、ある酒造会社のワイナリー作りに携わっていました。しかし、その話が途中で流れてしまったんですね。もともとワインは大好きだし、だったら自分で作ってみるか。50歳を前に一念発起して、2億円をかけてワイナリーを作り、醸造免許を取得し、「ヴィラデストガーデンファームアンドワイナリー 」と名付けたのが2003年のことです。
 最初、周囲からは「標高850メートルの高地でワインは無理だ」と言われました。当時の日本ワインは、標高400メートル前後の山梨県勝沼市周辺が主流でした。私は、長野の気候を考えるとカベルネ(赤ワイン用の代表品種)は難しいと思ったので、シャルドネ(白ワイン用の代表品種)と、メルロー(カベルネよりも高地で生産される赤ワインの代表品種)を栽培することから始めました。今思うと、最初の頃に出来上がったワインは、不味くて飲めたものじゃなかったですね。ワインは「ブドウ7割、人間3割」といって、どんなに人間が精魂こめてワインを醸造したとしても、肝心のブドウの出来が悪いと全てがダメになるのです。当然、私の畑のブドウは木が若いですから、最初から良質のブドウがとれるはずがない。飲むだけだったら、買った方がおいしいワインを確実に楽しむことができることを痛感しました。

ワイン作りは『時間と土の物語』。そこが面白い

 私は、「ワイン作りは飲むより100倍面白い」と思っています。というのも、ワイン作りは「時間と土の物語」だと考えているからです。とくに「日照、雨量、土壌」はワインの出来を大きく左右します。ワイン用のブドウは巨峰などの食用とは違い極端に雨を嫌います。雨が降るとブドウが水分を多く含んでしますので出来上がったワインが水っぽくなってしまうのです。私の畑に限らず、日本の土地は酸性度が高いので土壌を改良する必要がありました。私は、宮城県石巻市から牡蠣の殻を大量に譲り受け、畑に何度もまいてブドウ栽培に適した土地を作りました。人の手の努力と自然の力を借りながら、ワインは時間をかけて育っていくものです。

 伝統的なフランス産オーク樽を用いながら、イタリアやアメリカなどで使われている一流の醸造機械を使用しています。私のワイナリーでは、ワインの製造過程を全てガラス越しに見学できるようになっています。私は、小規模ながら職人の手作業による工芸的な製品の製造に多く用いられる「ブティック」という言葉を借りて「ブティックワイナリ宣言」という考え方を作りました。作り手の顔の見える個性的なワインを、原料であるブドウから少量生産するのが私たちのやり方です。まさに職人仕事だと思います。現在、日本のワイナリーの多くは、原料の過半を外国からの輸入に依存しています。本来、ワイン醸造はブドウの畑と隣接した場所に醸造所を作るのが原則とされています。しかし、欧米など世界のワインの生産地では当たり前のことが、日本国内ではまだごく少数のワイナリーでしか実践されていないのは悲しい限りです。

「ワインをシンボルとした新しい農と食の地域つくり

 ここ10年で国産ワインを取り巻く状況は大きく変わりました。一番の変化は温暖化の影響で、長野県産ワインが国産ワインのスタンダードと呼ばれるようになりました。つまり、かつては「標高が高すぎてブドウ栽培にはむかない」と言われて来た長野県が、温暖化によって国内有数のワインの産地になったのです。私は今、「千曲川ワインバレー」という夢を描いています。現在、私が暮らす東御市をはじめ、千曲川流域に大小合わせて10数軒のワイナリーがあります。江戸時代から近代にかけて、上田市を中心とする千曲川流域は、蚕の卵を作る「蚕種産業(てんしゅさんぎょう)」が盛んな地域でした。良質の蚕種を作るためには、内陸部で乾燥した地域が適していたからです。私が開墾した土地も、もともとは桑畑でした。時の流れと共に、日本の近代化を支えた製糸業はその役目を終えましたが、今度は「絹からワイン」を合言葉に、ワインをシンボルとして、この千曲川流域を新しい食と農の町として甦らせたいというのが私の想いです。現在、この地域にはワインだけではなく、農業をしながら自分らしいライフスタイルをめざそうという若い世代の移住が増えています。長野県は土地が少ないので大量生産はできませんが、一年を通じて多種多彩の食材が手に入ります。いつか私は、長野県の食材が気軽に手に入るマルシェを併設したレストランを東京に出したいと思っています。丸の内とかいいじゃないですか。丸の内の現代的な街並みは、ワインを傾けるのにぴったりの場所だとお思っています。ワインはその土地の風景を映し出す鏡とも言われています。どんなワインを作りたいかといえば、私が一目ぼれした、この丘からの風景を思い出してもらえるようなワインだと私は思っています。(了)

文・ノンフィクションライター・中原一歩

写真・上野ヨシノリ




玉村豊男
玉村豊男
・エッセイスト・画家・農園主・ワイナリーオーナー

 1945年10月8日 東京都杉並区に、画家玉村方久斗の末子として生まれる。都立西高を経て、1971年東京大学仏文科を卒業。在学中にパリ大学言語学研究所に2年間留学。通訳、翻訳業をへて、文筆業へ。

 1977年に『パリ 旅の雑学ノート』、1980年に『料理の四面体』を刊行してエッセイストとしての地歩を築く。旅と都市、料理、食文化、田舎暮らし、ライフスタイル論など幅広い分野で執筆を続ける。

 1983年より8年間、軽井沢町で生活。その後、病を得たのを機に高校以来中断していた絵画制作を87年より再開し、1989年長野県上田市の「原画廊」で初個展。1994年以後は毎年数回の個展および各地での巡回展を開催。

 1991年より長野県小県郡東部町(現・長野県東御市)在住。東御市ではワイン用ブドウ、ハーブ、西洋野菜を栽培する農園ヴィラデストを 経営。2003年10月に酒造免許を取得し「ヴィラデストワイナリー」を開設。3ヘクタールにおよぶブドウ畑で育てたブドウからワイン「ヴィラデスト  ヴィニュロンズリザーブ」の醸造を始める。2004年4月にはカフェ、ショップ、ガーデンなどを併設した「ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイ ナリー」を開き、ワインとともに農園でとれた野菜、ハーブをメインにした食事を提供している。

 著書は『田園の快楽』『とっておきパリ左岸ガイド』、『回転スシ世界一周』『ヴィラデストの厨房から』、『ヴィラデスト・カフェブック』『田舎暮らしのできる人 できない人』、『100本のボルドーワインのための100皿の料理』、『今日よりよいあすはない』など。

 画集に『玉村豊男 パリ風景画集』 『FLOWERS』、『HARVEST』 『TRAVELS』 『GARDENS』など。最新刊は『隠居志願』(東京書籍)

ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー


私を育てた『あの時、あの味』

人には忘れられない味があります。故郷のごちそう、母親の手料理、異国の地で出会った初体験の味。そして、行きつけのあの店のとっておきの味。人生という大きな舞台に「食」のシーンは欠かすことができません。ドラマチックな人生を送る、今もっとも輝いている人の味覚の歴史を辿ります。ぜひ、あなたにとってのあの時、あの味を思い出してみてください。

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Archives

2012.12.18

私を育てた『あの時、あの味』5 細川モモ

私が10代の頃、両親が末期がんの宣告を受けました。その時、病気になってから病気を治すのではなく、病気になる前から健康を守る「予防医療」の仕事がしたいと思ったんです。

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2012.01.12

私を育てた『あの時、あの味』4 林綾野

印象的な食事はいくつかありますが、その中でも印象的なものは、中学2年生の時、旅行先で食べた「さくらんぼの冷製スープ」です。祖母と東北を旅行した際に、おそらくフレンチレストランでいただいたものだと思います。

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