
●「食育丸の内」とは、三菱地所の「都市と食に関する問題」に取り組むプロジェクトの一環です。「食」に関する様々な活動を通じて、生産者、消費者、レストランが共に手を携え、人々が一層、心身共に健康になれる社会づくりを目指し活動していきます。
●丸の内エリアを中心に活躍されている、日本を代表する和食・フレンチ、イタリアン、アジアン、4ジャンルのシェフ26名によって構成される「丸の内シェフズクラブ」。ただ、調理するではなく、食育を合言葉に、実際に生産地に足を運んだり、子どもたちへの食育授業など様々な提案、イベント発信などを行っています。


私にとって特別な食事は、尊敬するスペインの作曲家・故ホアキン・ロドリーゴさんの別荘に招かれた時の思い出につながります。ロドリーゴさんはスペイン出身の作曲家で、代表作であるアランフェス協奏曲は私も中学生の頃から弾いたり、聴いたりと親しんでいました。
ロドリーゴさんとはご縁があって、私が20歳の時に一度お会いしたんです。もう、私にとっては憧れの人で、雲の上の存在でした。とても緊張してマドリッドにあるご自宅に伺ったのですが、その時、とっても素敵な笑顔で玄関で迎えてくださったのが娘のセシリアさんでした。当時、ロドリーゴさんはすでにたいへんご高齢で、面と向かって会話をするのができなかったんですね。傍らにはいつもセシリアさんがいて、彼女が日本からギタリストのお嬢さんが訪ねてきてくれたのよ、なんて間に入ってサポートをしてくださいました。
ロドリーゴさんが残された貴重な作品は、良いファミリーに恵まれているので、後世に残せるようしっかりと管理されています。曲の権利問題や、楽譜出版のことなど複雑な手続きがいっぱいあります。セシリアさんは父の残した遺産を守りながら、財団を作ってコンクールを企画したり、新たに楽譜を発売するなど精力的に活動をされています。ロドリーゴさんは98歳の長寿でお亡くなりになるのですが、それ以降も彼女とはずっと仲良くさせてもらっています。

2011年の7月。そんな彼女が父・ロドリーゴさんの別荘に私を招待して下さると聞いて、とっても嬉しくなりました。実はロドリーゴさんの別荘というのは話にも聞いていて、彼が海で泳ぐ姿を映像で見たことがありました。私は興奮して、出かける前日にはアランフェス協奏曲を何度も練習しました。
そして当日。マドリッドから1時間ほど快速電車に乗って、アンダルシア地方にあるクジューラという街をめざしました。その別荘は海の見える丘に静かに佇んでいました。一年中温暖なアンダルシア地方らしく、お庭にはハイビスカスなど、色とりどりのお花が咲いています。セシリアさんと再会の喜びを分かち合った後、リビングにあるソファーでひと休みました。開け放った窓からは太陽がさんさんと注ぎ込み、潮風がとても心地よく吹き抜けます。すると、彼女が「どう、海に泳ぎにいかない」と誘って下さったので30分もしないうちに着替えて海にでかけました。私はてっきり、彼女の旦那さんや娘さん夫妻が滞在しているものだと思っていたのですが、彼女ひとりでした。つまり、私のために時間を空けてくださって、女ふたりっきりのバカンスだったんです。
海からあがるとお昼にしようと食事の準備をして下さいました。スペインの人はなによりも食事、そしてその時間を大切にします。食事の前にまずはアペリティフで乾杯。グレープフルーツ入りのカンパリを飲みながら、チーズやオリーブをつまみます。その後ようやくメインを作りにかかります。トマトをベースにたくさんの野菜が入ったスペインのおふくろの味ガスパチョをメインに、チーズ、ハム、オムレツ。そしてパンとワイン。いつもはビジネスの現場で、財団の理事長としての彼女しか見たことがなかったのですが、手料理を食べさせてもらって、家庭人としての側面や、何よりその自然体な振る舞いに女性としての魅力を改めて感じてしまいました。海で泳いで、遅いランチをとって、お昼寝をして、また少し浜辺を歩いて。夜は二人でワイワイ言い合いながら料理を作ったりして。ああ、これがスペイン人の生き方なんだなって。改めて食事を食べながら思いました。

私は最近、食べることもそうなのですが、食事を作ることはギターを弾くことに共通するなぁって思います。それは、レシピというのは誰か作り手、音楽で言えば作曲家が書いたものです。それを私たちは再現するのですが、どうやって作曲家の意図を汲み取るか。そこには正解がありません。しかし、ただおいしいではなく、出来上がったお料理をどのような器にもって、どんな雰囲気の場所で提供するのかにまで責任を持つことがプロとしての仕事です。それを、肩肘張らずにどうしたら自然体でできるのか。ロドリーゴさんの別荘で、セシリアさんとふたりきりで囲んだ食卓の時間が、私にそんなことを考えさせてくれる良い機会になりました。
文・ノンフィクションライター・中原一歩
写真・フードフォトグラファー・宮崎純一
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ギタリスト 東京都生まれ。ギターを3才より父の手ほどきを受け、10才より福田進一氏に師事。10代の頃より数々の国際コンクールで優勝を果たし、15歳でCDデ ビューを飾る。03年、英国の名門クラシックレーベルDECCAと日本人としては初の長期専属契約を結ぶ。J-WAVE(FM)「三菱地所 CLASSY CAFÉ」マンスリー・ナビゲーターを務めるほか、雑誌でのエッセイ連載、新聞へ書評を寄稿するなど、幅広い分野で活躍している。08年、第9回ホテルオークラ音楽賞を受賞。11年10月にはDECCA盤8枚目となる「プレリュード」をリリースし、話題を呼んでいる。 |
●人には忘れられない味があります。故郷のごちそう、母親の手料理、異国の地で出会った初体験の味。そして、行きつけのあの店のとっておきの味。人生という大きな舞台に「食」のシーンは欠かすことができません。ドラマチックな人生を送る、今もっとも輝いている人の味覚の歴史を辿ります。ぜひ、あなたにとってのあの時、あの味を思い出してみてください。
●印象的な食事はいくつかありますが、その中でも印象的なものは、中学2年生の時、旅行先で食べた「さくらんぼの冷製スープ」です。祖母と東北を旅行した際に、おそらくフレンチレストランでいただいたものだと思います。
