About

「食育丸の内」とは、三菱地所の「都市と食に関する問題」に取り組むプロジェクトの一環です。「食」に関する様々な活動を通じて、生産者、消費者、レストランが共に手を携え、人々が一層、心身共に健康になれる社会づくりを目指し活動していきます。

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Chef's Club

丸の内エリアを中心に活躍されている、日本を代表する和食・フレンチ、イタリアン、アジアン、4ジャンルのシェフ26名によって構成される「丸の内シェフズクラブ」。ただ、調理するではなく、食育を合言葉に、実際に生産地に足を運んだり、子どもたちへの食育授業など様々な提案、イベント発信などを行っています。

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Contents

マルシェに行こう
イートアカデミー
旬のシェフズランチ
子どもの食育ウェルカムキッズ
シェフの履歴書
服部幸應の食育のツボ
私を育てた『あの時、あの味』
元気になるニッポンの味めぐり
ラブテリ東京&NYヘルスリテラシー向上委員会
Will Conscious Marunouchi
人人人 オーナー 中島武氏  「時代のニーズをかぎ分ける嗅覚。
今、東京のレストランは再生の節目にある。」 こだわりは貫き通さなければなりませんが、時代の中で色あせてしまうものは必ずあります。そこに「再生のメカニズム」と「新しいモノを作る」という私の会社のビジネスチャンスもあるのです。

 洋食屋で蝶ネクタイをして給仕をする〝男子〟がとても軟派に見えた時代がありました。学生時代のことです。私は泣く子も黙る「拓殖大学応援団」、しかも団長だったんです。350人もの部員を束ねるバンカラ集団のトップですよ。学生時代、飲食店でアルバイトをするなんて考えたことは一度もありませんでした。
 私が初めて飲食業に関わったのは大学を卒業してからです。福生で米軍ハウスを改築して小さなイタリアンレストランを趣味的にはじめたのがきっかけでした。拓殖大学の卒業生は伝統的に起業精神が旺盛で、20代~30代にかけて、私も不動産や外車の輸入販売など会社を立ち上げ多角的な事業に挑戦していました。本格的に飲食ビジネスに進出したのは40代になってからです。私が最初に目をつけたのは中国料理でした。
 海外旅行が好きだった私は、中国で食べた料理を日本に持ち込み、日本人向けにアレンジしたオリジナルメニューを考案しました。中国の黒酢を使った「黒酢のまっ黒酢豚」北京語で「韮菜盒子」と書く韮菜(ニラ)万頭、長細いスティック状の「海老春巻き」。今ではどんな中国料理店にも並んでいるこれらのメニューは、すべて私が日本に持ち込んだものです。

 私のこだわりは「店名」をみても明らかでした。当時のフランス料理店やイタリア料理店は、それぞれの国の言語で店名を名乗ることが本格的なレストランの証でした。ところが中国料理だけ本格的な中国語で店名をつけると「難しい」「読めない」と言われた。中には「漢方薬みたい」と偏見を言う人まで現れました。
 私はそんな偏見を逆手にとったのです。「紅虎餃子房」「白碗竹筷樓」「万豚記」。本格的な中国料理が一般に普及していなかった時代です。漢字ばかりが記号のように並んでいて、何て読んでいいかわからない。店構えも北京や香港の下町を思わせるちょっと〝怪しい〟作りでしたが、これが大当たりするのです。今思えば、読めない漢字を並べるなんて稚拙だったと思いますが、「本格的な店を作る」というこだわりが当時の店名には込められていたのです。

『世の中には酒好きもおれば餅好きもいる』家業を継ぐ決心をさせた師の教え

 単純に中国のものを日本にもってくれば成功するとは限りません。飲食店は味を支える料理人あってこそのビジネスです。私は国籍と問わず、「シェフの中にも味が分かる人と分からない人がいる」と思っています。私は酒が飲めません。その分、味覚には絶対の自信を持っています。不思議なことに味覚は分かる人はどの皿を食べても分かります。とくに難しいのは塩の加減、まさに「塩梅」です。
 私も厨房に入ってラーメンのスープを味見することがあります。「おやっ、気持ち塩が薄いぞ」。そう思ってシェフに味見をさせます。「あたりが弱いですね。もう一味足しましょう」。そう言い切れる人間をできるだけ手元に置くようにしています。私はオーナーという立場ですから、自ら厨房に入って鍋を振るうことはしません。味の分かる「料理人」を探して育てることが私の役目だと思っているからです。

 私はこれまでに350店舗もの飲食店を手掛けてきました。経験が多い分、成功も失敗もありました。どんなに経営が上手な料理人でもせいぜい10店舗が限界でしょう。時代感覚。つまりマーケットを意識して儲かる店と作ることは大切ですが、最終的には自分が責任をとるのですから自分の好きな店をやろうと今は思っています。

 日本の飲食業界は今、大きな節目にあると思います。常に意識しているのは「どんなに有名レストランも、時代が流れると陳腐に見える時が来る」ということです。90年代に一斉を風靡した予約のとれないレストラン。その中で何軒が今も生き残っているでしょうか?マスコミにもてはやされ有頂天になってもその名声は決して永遠ではありません。こだわりは貫き通ささければなりませんが、時代の中で色あせてしまうものは必ずあります。そこに「再生のメカニズム」と「新しいモノを作る」という私の会社のビジネスチャンスもあるのです。
 丸の内にも中国家庭料理「CHINESE 青菜」などを出店しておりますが、次は「大人がゆっくり楽しめるバー」なんかやりたいですね。銀座ほど敷居が高くなくて、それでいて大人が楽しめる場所。私は酒が飲めませんが、時代のニーズを嗅ぎ取る嗅覚はあると今でも思っているんです。

文・ノンフィクションライター・中原一歩

写真・フードフォトグラファー・宮崎純一

Contact

パリアッチョ 丸の内仲通り店

東京都千代田区丸の内2-2-3 丸の内仲通りビル 1F

☎03-6273-4486


シェフの履歴書

丸の内シェフズクラブに所属し、東京いや日本を代表する料理人の人生にはドラマがある。人生を変えたあの人のあの皿、修行時代の悔しい思い出、自分を一人前にしてくれた食材、自分の舌に焼き付いて離れない故郷の味。そんな、料理から学んだ、一流シェフの人生という名の美味しいレシピを連載します。

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Archives

2013.04.26

シェフの履歴書11 「日本橋 とよだ」五代目主人 橋本亨氏

お江戸日本橋。正統な日本料理を現代に伝えながら、再開発で新しく生まれ変わる 街に合わせて料理屋も変化することが大切なのです。

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2012.12.27

シェフの履歴書10 Wakiya一笑美茶樓 オーナーシェフ 脇屋友詞氏

自分の求める味の頂を求めて現在も修行を続けています。その努力の上に初めて技法は あるのではないでしょうか。同じフカヒレでも、「Wakiyaのフカヒレは旨い」。そうやってお客様に他店の味と比べられてこそ料理人としてのやり甲斐があるというものです。

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