About

「食育丸の内」とは、三菱地所の「都市と食に関する問題」に取り組むプロジェクトの一環です。「食」に関する様々な活動を通じて、生産者、消費者、レストランが共に手を携え、人々が一層、心身共に健康になれる社会づくりを目指し活動していきます。

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Chef's Club

丸の内エリアを中心に活躍されている、日本を代表する和食・フレンチ、イタリアン、アジアン、4ジャンルのシェフ26名によって構成される「丸の内シェフズクラブ」。ただ、調理するではなく、食育を合言葉に、実際に生産地に足を運んだり、子どもたちへの食育授業など様々な提案、イベント発信などを行っています。

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Contents

マルシェに行こう
イートアカデミー
旬のシェフズランチ
子どもの食育ウェルカムキッズ
シェフの履歴書
服部幸應の食育のツボ
私を育てた『あの時、あの味』
元気になるニッポンの味めぐり
ラブテリ東京&NYヘルスリテラシー向上委員会
Will Conscious Marunouchi
シェフの履歴書 08 招福楼 若主人 中村成実氏 全ての出会いはすべて『縁』やと思っているんです SHIGEMI NAKAMURA 食材も生産者もお客様も、全ての出会いはすべて『縁』やと思っているんです

 よく、食材はどこのものを使われていますか?どのようにして探されているんですか?と質問を受けます。しかし、私にとって食材、器、部屋に生ける季節のお花、お客様との出会いもすべて「縁」やと思っているんです。全国に食材はありますから、それを全て知り尽くすということは不可能です。ただ、ふだんから動き回っていると、市場では手に入らないような上等な野菜を作る生産者にばったり出会うなどまさに「縁」に恵まれます。私たちの仕事は、料理を作っておもてなしをすることです。お料理はご馳走とも言われます。文字通り、お客さまのために全国を走り回って食材を集めてくることが私たちの仕事なんですね。

 今日は夏の八寸をご用意いたしました。夏の贅沢である『涼味』を感じてもらうために洋風のリキュールグラスでお出ししています。食事の楽しみって器を楽しむことからはじまるじゃないですか。だから、わざと洋風のもので形や大きさの違うものを選んでいます。遊び心です。時計回りに「イナダと胡瓜の生姜酢和え」「鱧の子の玉しめ」「トマトとジュンサイ」「岩茸と白瓜の雷干し」「マダカ鮑と長芋」。これは本店もお出しする夏の定番です。うちのお店には一品料理というものがありません。季節ごとのコース料理、つまり「おまかせ」が基本です。これは、お客様が私たちにすべてをゆだねてもらってこそ成り立ちます。だから、人によっては嫌いな食材やアレルギーもあるでしょうし、食事会にふさわしい献立だってあると思います。だから事前にお客様とコミュニケーションを図ることを何より大切にし、どれだけその場を楽しんでもらうか、満足してもらうかを心に据えて仕事をしております。毎月、季節ごとの献立は各店の料理長が作るのですが、私がすべて目を通して添削します。確かに一品料理としてはおいしいかもしれませんが、コースの流れとしてふさわしくない料理もあるからです。その見極めはやはり経験がものを言う世界で、けっきょく、自分が料理を考えることが多いですね。

『世の中には酒好きもおれば餅好きもいる』家業を継ぐ決心をさせた師の教え

 招福楼はもともと滋賀県八日市(現在の東近江市)の花街にあった「お茶屋」でした。創業は明治元年です。それを現在のような「料亭」に改めたのが3代目にあたる私の父・中村秀太郎でした。私はそんな父のすすめで高校卒業と同時に京都の山田無文師の元で小僧として修行に入りました。そして、大学卒業と同時に得度出家して、神戸の祥福寺僧堂・河野泰通老師の元で雲水修行に励みました。もちろん、その中で精進料理など料理も学んだわけですが、本格的に家業である料亭の台所に入ったのは20代後半です。幼い頃から料亭の台所が遊び場でしたので、家業を継ぐことには抵抗がありませんでした。しかし、結果として9年半も寺修行をしていたので一時はこのまま坊主になった方がええんちゃうかと思ったこともありました。なぜなら、一代で今日の招福楼という料亭を作り上げた父と同じことをするか、父を超える仕事をしなければ現代において料亭の経営は立ち行かないと思ったからです。そんな悩みを師である河野泰通老師に打ち明けたことがありました。すると、ぴしゃっと一喝されましたね。

 「お前は何のために修行に入ったんや。経営者として人の上に立つためじゃないのか。父親と同じことと言うけれども、父親がうまいと言ったものがすべて旨いのか。父親が美しいと思ったものが本当に美しいのか。世の中には酒好きもいれば餅好きもいる。父親の料理が好みの客もいれば、お前の味に惹かれる客も必ずいる。生まれながらにして仕事ができる家に生まれたのだからそのありがたみを知れ」と一蹴されました。私はこの言葉で家業を継ぐ決意を固め、昭和55年の秋に招福楼の台所で料理人としての第一歩を踏み出したのです。

『君らは店に何を残してくれるんや』一人前になるためにおよそ20年。何もかもをオープンにして弟子を育てる」

 今、うちにも若い弟子たちが、一人前の板前めざして働いています。私は今でもお月謝を払ってお茶やお花などを教わりに通っています。そして、自分ではお月謝以上のことを学んでそれを自分のものにしようと心がけています。しかし、お月謝を払って学んだことを、店に戻ると弟子たちに給与を払いながら教えなければならないのです。お金を払って教わるのか。お金をもらいながら教わるのか。ここにはえらい差があるぞって普段から口を酸っぱくして言っています。うちでは毎日、座敷に生けるための草花を野山に摘みにいくのですが、同じ場所に花を摘みに出ても、摘む人によって花の種類も量も違います。中にはこんなに摘んでどないする?と首をかしげたくなる弟子もいます。みんな十人十色。しかし、大事なことは次の花摘みの時にその教訓を生かせるかどうかです。

 うちにいるだけで、料理技術はもちろん、仕入れ先から、食器、建築、お花、掛け軸、ありとあらゆることを学ぶことができます。しかも、本店では私も弟子たちといっしょに暮らしていますので、私には私生活も何もありません。病気で寝込んでいる姿さえすべて見せていることになります。「私は全てを見せている。だったら君らは何を学び、店に何を残してくれるのか」これは私の口癖です。偉そうに聞こえるかもしれませんが、上に立つものの責任として、子どもたちが社会に出ても恥ずかしくないような社会観、人生観を教えるのも私の仕事だと思っています。といっても、20年もいっしょに暮らしていると、何を言わなくても全ては通じるものです。料理技術だけを教えるのならどんなにたやすいことか。石の上にも3年っていいますが、うちでは10年たってようやく板前への第一歩を踏み出したことになるのではないでしょうか。この齢になると、成長してうちを卒業してゆく弟子たちを見守るのが何よりの楽しみであることは言うまでもありません。

文・ノンフィクションライター・中原一歩

写真・フードフォトグラファー・宮崎純一

Contact

招福楼

東京都千代田区丸の内 2-4-1丸の内ビルディング 36F

03-3240-0003


シェフの履歴書

丸の内シェフズクラブに所属し、東京いや日本を代表する料理人の人生にはドラマがある。人生を変えたあの人のあの皿、修行時代の悔しい思い出、自分を一人前にしてくれた食材、自分の舌に焼き付いて離れない故郷の味。そんな、料理から学んだ、一流シェフの人生という名の美味しいレシピを連載します。

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