About

「食育丸の内」とは、三菱地所の「都市と食に関する問題」に取り組むプロジェクトの一環です。「食」に関する様々な活動を通じて、生産者、消費者、レストランが共に手を携え、人々が一層、心身共に健康になれる社会づくりを目指し活動していきます。

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Chef's Club

丸の内エリアを中心に活躍されている、日本を代表する和食・フレンチ、イタリアン、アジアン、4ジャンルのシェフ26名によって構成される「丸の内シェフズクラブ」。ただ、調理するではなく、食育を合言葉に、実際に生産地に足を運んだり、子どもたちへの食育授業など様々な提案、イベント発信などを行っています。

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Contents

マルシェに行こう
イートアカデミー
旬のシェフズランチ
子どもの食育ウェルカムキッズ
シェフの履歴書
服部幸應の食育のツボ
私を育てた『あの時、あの味』
元気になるニッポンの味めぐり
ラブテリ東京&NYヘルスリテラシー向上委員会
Will Conscious Marunouchi
シェフの履歴書 06 イグレック丸の内 総料理長 山口浩氏 「ゼロになっても必ず再スタートできる」 HIROSHI YAMAGUCHI すべてを失った阪神大震災

 1992年にフランスの料理修行から帰国して、神戸ベイシェラトンホテルの最上階にあったレストランで仕事をしていました。その店の名前は「ラ・コート・ドール」(現ルレ・ベルナール・ロワゾー)。私の師匠であり、現代フランス料理の第一人者として、ミシュランガイドブックで三ツ星に輝いたベルナール・ロワゾーが手がける日本初出店のレストランでした。
 オープンから3年目を迎え、ようやく店の経営も軌道に乗り出したという矢先、あの阪神大震災に遭遇しました。当時の店は、神戸港を見下ろす六甲アイランドにあったので地震の影響をまともに受けました。厨房はもう壊滅。震災が神戸の街、そこで暮らす人々に与えた喪失感はあまりにも大きかったのです。京阪神でもっとも客単価が高く、ハイグレード層をターゲットにしていたガストロミー(高級レストラン)に客足が戻るまで5年はかかると世間では語られていました。そして、会社が下した決断は「撤退」。私は料理長という職を失いました。

 まさに天国から地獄。しばらくの間、料理人として大切なモチベーションを失い、ただ働きながら食いつなぐ日々が続きました。あの頃の自分は気も病んで、ギャグの一つも言う気になれませんでしたね。フランスに渡って修行を積み皆さんに楽しんでもらえる技術を身に付けて帰国したのにもかかわらず、お客様の前で腕を振るう機会がない。レストランという自分の舞台を失ってはじめて、自分の現在の力量や働く意味、何より自分は料理を作ってお客様に喜んでもらうことを生業とする料理人なんだと再確認しました。多くのお客様に支持を頂戴したにも関わらず、お客様と料理を提供する両者の思いとは裏腹に物事が決まってしまう現実もまのあたりにしました。  よし、今度は自分の手で、自分の舞台を築き上げよう。そう覚悟を決めた時、やはり震災をきっかけに閉館を余儀なくされていたホテルと出会いました。わずかな資金を元に法人を設立し経営者と現場の総責任者としての二足の草鞋を履いての再スタートです。それが「神戸北野ホテル」だったのです。

ベルナール・ロワゾーの朝食を再現

 このお話をいただいた時、私はヨーロッパのオーベルジュを再現しようと思いました。オーベルジュとは、宿泊施設を併設したレストランのことで、当時の日本では聞きなれない言葉でした。通常、オーベルジュは地方や郊外にあるのですが、私は異国情緒に溢れる神戸という街にある「都市型オーベルジュ」をコンセプトとし、主に女性客をメインターゲットにしたのです。そしてもうひとつ、私にはどうしても実現したいことがありました。「世界一の朝食」と謳われていた師匠、ベルナール・ロワゾーの朝食を再現することでした。
 当時、和食でもない、アメリカンスタイルでもない、いわゆるコンチネンタルと呼ばれるヨーロッパの朝食のイメージは、パンとスクランブルエッグ、に代表される簡素なものでした。ホテルの場合、朝食には人件費がかけられないという事情もあります。しかし、私が体験した本場のコンチネンタルは何もかもが違うのです。例えば、当時の日本人にとってジャムは甘い既製品が主流でした。しかし、私の師匠が手がけるジャムは、まるで生のフルーツを食べているような豊かな甘味、酸味がありました。同じジャムでもこれを「コンフィチュール」と呼び作り方も違います。ハチミツも衝撃でした。それまで、その味はひとつと思っていたのですが、草花、フルーツ、ハーブなど、草花によってその味はまったく違うのです。

 こうした自分自身が体験した新しい発見を随所に取り入れました。まだ日本には紹介されていない本物の朝食。本場のクロワッサンのサクッという触感を再現するため、ホテルリニューアル後すぐに、ホテル近くに自家製ベーカリー部門まで設立しました。こうして、他のホテルとの差別化を図ったのです。
 もちろんメインダイニングでも革新的な料理を出しましたよ。代表的なのがブルターニュ産のオマールのサラダ仕立て。あの赤いソースはカナダ産では決して出せない。シャラン産の鴨だって今では有名ですが当時はまだ日本で輸入している業者が無く輸入ルートを自ら確立しました。私の師匠であるベルナール・ロワゾーの料理は「キュイジーヌ・アロー(水の料理)」。と呼ばれています。つまり、フランス料理の定番だったバターや生クリーム、オイルなどを排除し、肉や魚、野菜等の本質を見極め純化させることに注力しました。つまり、素材を尊重し、そのポテンシャルを引き出すことで料理を組み立てる。まさに、フランス料理に限らず、現在の料理の主流ともいえる調理法です。
 しかし、当時日本のフランス料理の主流は従来の手法でしたが、私はこの新たな手法が必ず世界の料理の主流になると信じてやってきました。今日ではベルナール・ロワゾーの提唱していた「フランス料理はもっとシンプルにもっと軽く」と言った事が多くのレストランで実施されています。

「すべてを失ってゼロからスタートした私だからこそ」

 シェフとして年齢を重ねていくことは、長年の経験から的確に時代の要求を掴むことが出来るようになるでしょうが、その反面失うことも有るかもしれません。常に料理業界の最先端にいたいという思いもありますが、これからは、後世に自分の経験を伝えることにも力を注いでいかなければなりません。奇しくも震災ですべてを失ってゼロからスタートした私だからこそ、東日本大震災ですべてを失った料理関係者にもその経験を伝えたい。物事に終わりは無くゼロは新たな出発点でその先には輝く未来が必ず待っているということです。

文・ノンフィクションライター・中原一歩

写真・フードフォトグラファー・宮崎純一

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FRENCH DINING RESTAURANT
igrek MARUNOUCHI

東京都千代田区丸の内1-5-1 新丸ビル5F

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シェフの履歴書

丸の内シェフズクラブに所属し、東京いや日本を代表する料理人の人生にはドラマがある。人生を変えたあの人のあの皿、修行時代の悔しい思い出、自分を一人前にしてくれた食材、自分の舌に焼き付いて離れない故郷の味。そんな、料理から学んだ、一流シェフの人生という名の美味しいレシピを連載します。

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2013.04.26

シェフの履歴書11 「日本橋 とよだ」五代目主人 橋本亨氏

お江戸日本橋。正統な日本料理を現代に伝えながら、再開発で新しく生まれ変わる 街に合わせて料理屋も変化することが大切なのです。

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2012.12.27

シェフの履歴書10 Wakiya一笑美茶樓 オーナーシェフ 脇屋友詞氏

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シェフの履歴書9 人人人 オーナー 中島武氏

こだわりは貫き通さなければなりませんが、時代の中で色あせてしまうものは必ず あります。そこに「再生のメカニズム」と「新しいモノを作る」という私の会社のビジネスチャンスもあるのです。

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