About

「食育丸の内」とは、三菱地所の「都市と食に関する問題」に取り組むプロジェクトの一環です。「食」に関する様々な活動を通じて、生産者、消費者、レストランが共に手を携え、人々が一層、心身共に健康になれる社会づくりを目指し活動していきます。

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Chef's Club

丸の内エリアを中心に活躍されている、日本を代表する和食・フレンチ、イタリアン、アジアン、4ジャンルのシェフ26名によって構成される「丸の内シェフズクラブ」。ただ、調理するではなく、食育を合言葉に、実際に生産地に足を運んだり、子どもたちへの食育授業など様々な提案、イベント発信などを行っています。

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Contents

マルシェに行こう
イートアカデミー
旬のシェフズランチ
子どもの食育ウェルカムキッズ
シェフの履歴書
服部幸應の食育のツボ
私を育てた『あの時、あの味』
元気になるニッポンの味めぐり
ラブテリ東京&NYヘルスリテラシー向上委員会
Will Conscious Marunouchi
銀座「寿司幸本店」 主人 杉山衛氏 ただ握るのではなく江戸前の『心』を握る
進化する江戸前の手仕事

杉山衛氏

 お寿司という食べ物は100年以上の伝統があると言われます。1800年代の前半にコハダを酢〆にし、シャリにも酢を使った現在の握り寿司の原型が生まれました。それから、早200年が経っていますが、相変わらずシャリは酢飯だし、ネタだって地域差はあるものの、鮪は鮪、穴子は穴子です。つまり、寿司は先人たちによってすでに「確立」された料理なのです。他のジャンルと比べると、新しい食材を開拓し料理の幅を広げるという冒険は難しいかもしれません。しかし、その時代を生きた職人の感性と技術が、伝統のネタと呼ばれる食材に新しい風を吹きこんできました。

 例えば、車海老。マキと呼ばれる全長10センチほどのものをサッとボイルして使用します。白木のカウンターに、紅白の目にも鮮やかな姿がお目見えすると思わず私も嬉しくなってしまいます。冷蔵・冷凍技術がなく、流通そのものが悪かった江戸時代、江戸湾(現在の東京湾)で採れた新鮮な魚介を酢や昆布で〆たり、お湯にサッとくぐらせて余分な魚の水分を取り除くことで、滅菌や保存の効果を持たせたのが江戸前の仕事の始まり。したがって、車海老もボイルして供するのが王道でした。

お寿司の写真

 しかし、祖父の時代、製氷機の登場で寿司屋の風景も大きく変わりました。「おどり」と呼ばれ生きたままの活海老をお客さまの目の前で皮を剥き提供するスタイルが大流行。私は江戸前発祥の仕事である「ボイル」、祖父の世代が生み出した「おどり」に加えて、「煮浸し」「しゃぶしゃぶ」という現代の車海老のレシピを開発しました。これは、メディアの発達と共に、味重視のお客様が多い中で、どうやったら車海老をおいしく食べられるかを追求し誕生したものです。

 車海老のおいしさは火の入れ方によって決まります。煮浸しは、芳ばしく焼いた海老を調味しただし汁に浸し、細かく刻んだ三つ葉と共に供します。しゃぶしゃぶは、沸騰したお湯で10秒。完全にボイルしたものよりも食感が残り、海老を食べたという満足感を味わえます。いずれにしろ火を入れすぎると身が固くなるので、そのタイミングを図るのがもっとも大切です。このように、同じ火入れでも焼いたり、茹でたり調理法を変えてみる。私たちはこうした研究に余念がありません。先人が「確立」した食べ物だからこそ、敢えて挑戦し続ける姿勢を持たなければ時代に遅れをとってしまうのです。

鮪は寿司屋の華

 銀座で寿司、私どものような高級店になるとすぐに「ぼっているんじゃないか」と斜に構えるお客様がおられます。しかし、それはウソ。銀座ほど良い品を、どれだけ安く提供するか試行錯誤している街はありません。それは、寿司屋にとって銀座は桧舞台。言わずと知れた大激戦区だからです。 この界隈には400軒以上の寿司屋があるといいます。その中から、わざわざ「寿司幸本店」を選んで来ていただくのですから、一貫数千円といった商売はできない。ただし、鮪だけは別格です。素材そのものが貴重で原価が圧倒的に高いからです。しかし、寿司屋にとって鮪だけは、許せる範囲でどの店よりもいいものを仕入れたいと思っています。鮪は築地で購入するのですが、鮪を扱う店は100以上あるのですが、国産の最高級の本鮪だけを扱う仲卸は10軒あるかないか。それぞれの店になじみの寿司屋、つまりお客さんがついているのです。数あるネタの中でも鮪だけは自分で選ぶことはできません。どこ産のどんな鮪が、いったい幾らで納品されるのかは鮪屋の主人におまかせです。寿司屋の実力は鮪屋で決まると言っていいでしょう。

 うちの鮪屋は父の代からの付き合いなのですが、お互いプロとして敬意を払って接しています。例えば、「勘定を貯めない」というのもそのひとつです。例えば、鮪屋の主人が、キロ2万円で200キロの鮪を競り落したとします。この代金は三日後までに荷受と呼ばれる親会社に全て現金で支払わなくてはなりません。しかし、私どもからの支払いは、ある一定期間の代金を月末などにまとめて支払う習わしです。つまり「ツケ払い」です。

 しかし、鮪屋の本音は一日でも早く勘定を払ってもらいたい。だからこそ、他店よりも数日早く支払ってあげるように心がけています。現金が滞ると強気で競りに臨むこともできません。結果、私どももいい鮪をお客様に提供できなくなる。かといって、絶対に言いなりにはなりません。鮪は店の看板だからダメな時は真正面からダメと言います。ただ、鮪だって海の生き物。時化が続いて築地への入荷そのものがない時もあります。そんな時でも、鮪屋さんは手を尽くして探してくれます。だから、そんな河岸の状況をこっちも分かっていないと、ただ恥をかくだけになってしまいます。

手から手へと受け継がれてゆくもの

寿司をにぎる写真

 いったい何年たてば一人前なの?とお客様に尋ねられることがあります。私は、カウンターに入り、お客様を相手に寿司を握るまでには7年から8年かかると言っています。逆の意味で言いますと、寿司を握ったり、魚を切ったりという作業はそんなに難しいことではありません。練習すれば誰でもできるようになります。ただし、ただ切るにしても、握るにしても、そこにどんな想いや信念があるかということが大事です。大げさに言うと「思想」があるかないかということです。

 例えば、コハダという江戸前のネタがあります。身が柔らかく足が早いので、新鮮なうちに下ろして塩と酢で〆ます。その加減が腕の見せどころ。魚の大小、脂ののり具合、そしてその日の天候などでも微妙に仕事は変わってきます。鮪と同じ海の生き物ですから、いかに築地といえども最高のコハダが毎日手に入るとも限りません。日々の異なる条件下、どうやれば自分の納得のいく味をお客様に安定して提供できるか職人の最高の技術といえるでしょう。

包丁の写真

 お客様に「おまかせ」と言われると気合が入ります。つまり、何をどの順番で出すのか全てを委ねられている訳です。カウンターに立つ私どもは、その人の懐具合、シチュエーション、どの程度寿司を知っているのかなどお客様の要望を一瞬で見抜き、それに見合った仕事でもてなさなくてはなりません。年配の方には同じネタでも隠し包丁を入れ柔らかめに握ったり、若い男性には大きめ、女性には小さめに握るなどさりげない配慮も必要です。つまり、ここに「ただ握る」とそうでない差が生まれます。

杉山衛氏

 ある程度の経験があれば「おいしい」ものは作れるようになります。しかし、お客様の「心に残る食事」を演出するには経験が必要です。願わくば、帰り際にお客様が、「次はいつ誰を連れてこよう」と思って下さる仕事をしたいと思っています。寿司屋は「握る」というただそれだけのことで代金を頂戴する職業です。江戸時代から、手から手へと連綿と受け継がれてゆくものは、何も「味」ばかりではない。そのことを、うちで働く若い衆には気づいて欲しいと思っています。

文・ノンフィクションライター・中原一歩

写真・フードフォトグラファー・宮崎純一

Contact

銀座寿司幸本店 丸ビル店

東京都千代田区丸の内2-4-1 丸ビル35F

☎03-3240-1907


シェフの履歴書

丸の内シェフズクラブに所属し、東京いや日本を代表する料理人の人生にはドラマがある。人生を変えたあの人のあの皿、修行時代の悔しい思い出、自分を一人前にしてくれた食材、自分の舌に焼き付いて離れない故郷の味。そんな、料理から学んだ、一流シェフの人生という名の美味しいレシピを連載します。

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