About

「食育丸の内」とは、三菱地所の「都市と食に関する問題」に取り組むプロジェクトの一環です。「食」に関する様々な活動を通じて、生産者、消費者、レストランが共に手を携え、人々が一層、心身共に健康になれる社会づくりを目指し活動していきます。

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Chef's Club

丸の内エリアを中心に活躍されている、日本を代表する和食・フレンチ、イタリアン、アジアン、4ジャンルのシェフ26名によって構成される「丸の内シェフズクラブ」。ただ、調理するではなく、食育を合言葉に、実際に生産地に足を運んだり、子どもたちへの食育授業など様々な提案、イベント発信などを行っています。

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Contents

マルシェに行こう
イートアカデミー
旬のシェフズランチ
子どもの食育ウェルカムキッズ
シェフの履歴書
服部幸應の食育のツボ
私を育てた『あの時、あの味』
元気になるニッポンの味めぐり
ラブテリ東京&NYヘルスリテラシー向上委員会
Will Conscious Marunouchi
レストラン・モナリザ  オーナーシェフ 河野透氏 願えば叶うを実現するための努力。手に入れたモナリザの微笑み
全てはパリのルーブル駅からはじまった

 25歳の時、英語はもちろん、フランス語も全く話せない状態で渡仏したんです。故郷の宮崎からカーフェリーで川崎へ。成田空港から30キロにもなるバックパックひとつを背負って飛行機に飛び乗りました。フランスには伝手もなく一冊の「地球の歩き方」が頼りでした。当然、初めての海外は戸惑うことばかり。初日、とりあえずパリのホテルに駆け込んだのですが、2時間ロビーで待たされた挙句に「コンプレ(満席)」と追い出される始末。そして、翌日の朝、私の人生を決定づける出来事に遭遇しました。出勤で混雑する地下鉄のルーブル駅で、ジプシーの少年たちに襲われお金も何も盗られたのです。声を上げても誰も助けてはくれず、呆然となってとりあえず地上へ。

 あの時、ひとり見上げたパリの空は一生忘れられません。もう、泣きたいけど涙ひとつでませんでした。というのも、故郷を離れるカーフェリーの上で、夜通し泣き明かしたんです。とにかく不安で怖かった。目の前に送別会をしてくれた友人や、故郷の母親の顔が浮かんでは消えました。そして、このまま帰るわけにはいかないと自分に言い聞かせ、とりあえず前を向いて歩き出しました。その時、ルーブルの街角で日本語で書かれたアルバイト募集の張り紙を見つけたのです。

河野透氏

 後から分かるのですが、その「伊勢」という日本料理店は、ファッションデザイナー高田賢三も通うパリの草分け的なお店でした。そこで出会ったオーナーに、仕事はもとより住む家も、フランスのしきたりも何もかも世話になりました。フランス語を学ぶための語学学校にも通わせてくれたんです。その結果、僕は世界で一番厳しいと言われるジョエル・ロブションの元で働くことができました。この伊勢のオーナーには一生頭が上がりません。


 あの日、何もかも失ったルーブル駅の街角。もし、あのまま自分に負けて日本に帰っていたら「シェフ河野透」はなかった。後に私は、自分の店の名前を「モナリザ」とするのですが、芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチの描いたあの「モナリザ」が展示されていたのはルーブル美術館。まったくの偶然なのですが、あの時確かにモナリザは私に微笑んでくれんたんです。

人の3倍、仕事をこなした青春時代

 「スイス銀行の金庫を破るより、レストランジラルデの予約を取るほうが難しい」。そんな逸話があるほどの繁盛店だったスイス・ローザンヌの三つ星レストラン「ジラルデ」の門を叩いたのが30歳。


 パリで5年働き、巨匠ジョエル・ロブションの紹介状を持っていたのでまさか断られるとは思わなかったのですが、実はスイスでの労働許可がないという理由で入店を許してもらえませんでした。しかし、こちらもパリからわざわざやって来たのだからタダで帰るわけにはいかない。じゃあ、1週間の研修という名目でどうだと迫り、ようやく働くことが許されました。当時、ジラルデで働いた日本人は、現在、丸の内シェフズクラブで一緒に仕事をする三國清三さんしかいませんでした。日本人に欧州の料理は作ることができない。そんな風潮が吹き荒れていました。だから、まずは認められるために人の3倍働きましたよ。

料理をする河野透氏

 当時、料理人のキャリアとしては10年以上あったのですが、まず朝は誰よりも早く来る。そんなに早く来るなと言われても辞めない。掃除や皿洗いはもちろん、ジラルデでは肉料理を担当していましたから、休憩も一番最後。その合間を見計らって、同じ職場で働く調理人43人分の賄いを作りました。昼夜を問わず週8回。人より多く働いた上に、同業者の、しかもヨーロッパ人にうまいと言わせる賄いを考えなくてはならない。シェフが飼っていたサントスという犬の面倒まで見ました(笑)。もちろん体力はいつもギリギリでした。私が出来ないと音を上げないものだから周囲は更に仕事を回してくる。いつの時代もそうだと思うのですが、この時にどれだけの努力をしたかでシェフの一生の技量は決まると思います。

 そんな働きが認められたのか、しばらくしてシェフに「ソースをやれ」と言われたんです。これは嬉しかったですね。フランス料理において、料理の要となるソースを任されるのは認められた証。通常は入店十数年のベテランが担当するのですが、そのポジションを言い渡された時、海外の三つ星料理店でも、日本人が評価される時代が来たと心から喜びを噛み締めました


 こうして、私は二軒の三つ星レストランで修行をするという機会に恵まれ、シェフとしての礎を築きあげました。これも、いつかは自分の店を持とうという信念があればこそ。頑張れば必ず誰かの目に留まる。それは、頑張っていない人の中で必ず目立つからなんです。コネではなく、正真正銘の実力でのし上がった経験が私の中の大きな自信にもなりました。

日本人の嗜好を押えながら、山菜など斬新な挑戦も

 恵比寿のタイユバン・ロブションで初代シェフと努めてを43年。

 1997年に恵比寿に自分の城(シャトー)を構えました。名前は迷わず「モナリザ」としました。これは、当時のフランス料理は厳かな雰囲気の中、キャンドルを灯し食事するスタイルが主流だったのですが、私はもっと明るく、お客さん同士が楽しく料理と会話を楽しむ「微笑みの絶えない」レストランを目指したいと思ったのです。その時、目に浮かんだのがパリの修行時代に足繁く通ったルーブル美術館。いつも、あの「モナリザ」の前には行列ができて、人々の喧騒が絶えませんでした。よし、これだとそのまま店名にしました。

山菜の写真

 開店当初からフランス料理でありながら、日本人の嗜好に合った食材をふんだんに取り入れることを心がけました。例えば、スカンピと呼ばれる手長エビ。海老は日本人の大好物。しかも、火の通し具合で味も食感も変わる。お皿の上に映える海老の赤も食欲をそそりますよね。また、日本の食材を取り入れる工夫もしました。この季節であれば山菜。一見、苦味やエグ味の強い山菜はフレンチに合わないイメージがありますが、私は昔から使っていました。この季節、そら豆のスープにコゴミなどの山菜を添え、チーズの香りのする泡を添えた前菜はうちの定番です。

デザインされたお皿と料理

 休日には日本全国を旅しながら、その土地にしかない食材を勉強して回りました。今でこそ産直という言葉もありますが、もう20年前からそれを実践していたのです。食事の楽しさは料理だけでは表現できません。例えばお皿。私のレストランはすべてオリジナルなんです。季節に合わせて、朝顔などのお花、ムカゴとヤマイモの葉っぱ、ダイヤや時計、月と太陽などをモチーフに自分でデザインします。きっかけは、自分の料理に合った皿を自分で作りたいと思ったことなのですが、こんな贅沢も自分の店でないとやることはできません。


 今年から西荻窪で小さな畑も始めました。私は宮崎の川南町の出身で、子どもの頃から家業である農家の手伝いをして育ちましたが、今の若い社員は自分の使っている野菜がどんな苗をしているのか知らない。だから、休日に畑を耕し、種まきや草取りなど野菜の世話をすることで、野菜を調理する喜びと同時に、自分で育てた野菜をお客様に直に提供できるという深い喜びを知って欲しいと思っています。これも、経営者として自分の城を構えなくては実現できなかったものです。

河野透氏と料理

 今は恵比寿と丸の内に2店舗を経営しています。とくに丸の内では、地上36階にある厨房から、関東平野に果てに落ちる夕日、それに交錯して浮かび上がる東京の摩天楼を眺めながら仕事をしています。修行時代、まさかこんな最高のロケーションで仕事ができるとは、夢にも思っていませんでした。いつか自分の城を持つと心に決め、人の3倍の努力をしたのがよかったのでしょう。今は修行時代のがむしゃらな自分を少しだけ褒めてあげたいと思いますね。

文・ノンフィクションライター・中原一歩

写真・フードフォトグラファー・宮崎純一

Contact

レストラン・モナリザ

東京都千代田区丸の内2-4-1 丸ビル 36F(丸の内店)

☎ 03-3240-5775

東京都渋谷区恵比寿西1-14-4(恵比寿本店)

☎ 03-5458-1887


シェフの履歴書

丸の内シェフズクラブに所属し、東京いや日本を代表する料理人の人生にはドラマがある。人生を変えたあの人のあの皿、修行時代の悔しい思い出、自分を一人前にしてくれた食材、自分の舌に焼き付いて離れない故郷の味。そんな、料理から学んだ、一流シェフの人生という名の美味しいレシピを連載します。

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